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雪の似合う彼女 2

 初めて入る春雪の部屋。それでも柚香は戸惑うどころかおおはしゃぎの様子だ。もしかしたら全然そういう気はないのかもしれないと春雪はなんとも複雑な気分になった。
「わー、ほんとだ、あの丘見えるねぇ」
「最近は行ってないの?」
「うん、今は春雪がいるからっ」
「ふーん…キミ、あそこに何しに行ってたの?」
「…うん…なんだろ…忘れちゃった…」
 言いたくないのか…春雪はまぁいいやとコートを脱いで暖房のスイッチを入れた。
 すると、突然振り返った柚香が、ものすごい不安そうな顔をした。さすがに春雪も驚いて、どうかしたのと言ったが、柚香はなんでもないと首を振り、帽子とコートを脱いだ。
 いつも外で会うときは帽子をかぶっていたからよくわからなかったが、柚香の髪は真っ黒なショートカットだった。

 春雪がコーヒーを入れ始めると、柚香はキッチンを覗いて、また不安そうな顔をする。
「どうしたの? さっきからヘンだよ」
「…あの…私…アイスコーヒーがいい…」
「え? この寒いのに?」
「……うん」
「…まぁ、いーけど…大丈夫なの?」
「うん」
 しかたなくアイスコーヒーを入れてやったら、柚香は幸せそうに飲んでいた。見ているこっちが寒くなると、春雪は視線を別のところにやった。
 こたつに入って暖かいコーヒーを飲んで、会話する。
 春雪はそれで普通だ。
 だが、柚香は違う。
 こたつには入らずセーターまで脱いで、シャツをうでまくりしてアイスコーヒーを飲む…。寒いと思っている自分がおかしいんじゃないかとさえ思った。
 まだ少し寒いくらいだから、暖房が効きすぎているわけでもないはずだ。春雪が不思議そうに自分を見ているのにやっと気付いた柚香は、気まずそうな顔をした。
「…寒くないの?」
「うん…私、暑いの苦手なの」
「それは知ってるけど…ホントに寒くないの?」
「うん」
「…そっか…ならいいけど…」
 柚香は春雪の顔をじっと見つめ、やがて腕まくりをやめ、もぞもぞこたつに足を入れた。
「…柚香…やっぱり寒いの?」
「う、うん…ちょっとだけ…」
「コーヒーあったかいの入れようか?」
「ううん、大丈夫、これでいい」
「…遠慮してるの?」
「してないよ」
「セーター着たら?」
「…うん」
 側に置いてあったセーターを着て、柚香はこたつの中でじっと動かなくなった。

「ねぇ、夕飯、ここで食べてく?」
 今まではいつも夕飯時になると、柚香はきちきち家に帰っていた。せっかく部屋に遊びに来たことだし、たまにはいいんじゃないかと思ったから言ってみたのだが、柚香は目を丸くして少し固まった。
「…い、いやならいーよ…」
 春雪はだんだんおかしな柚香を見ながら笑いをこらえるのも辛くなってきた。そして、氷みたいに固まっていた柚香は、そうやって顔をひきつらせる春雪が、怒っているのだと勘違いした。
「た、食べてく、ここでっ」
「え、あぁ…うん…」
 そんなに必死で言わなくてもいいのに…。
 ダメだ…我慢できない…。
「あはは」
 春雪が笑い出すと、柚香はぎょっとしてオロオロと落ち着きがなくなった。
「なんで笑うの? 私ヘンなの? ねぇ…」
「いや、いいんだ、ごめん…あはは」
「……春雪…私のこと嫌いにならないでね…」
 急に落ち込んでそんなことを言い出したから、春雪は笑うのをやめた。そっと手を伸ばし、うつむく柚香の頭を撫でて、柚香が顔を上げたら、頬に指で触れた。
 冷たい頬…やっぱり寒いんじゃないか…。
「嫌いになんかならないよ」
 春雪はそう言って柚香の腕をとり、こっちおいでと引っ張った。戸惑いながら柚香は春雪のひざの上に向かい合って座り、何か言おうと思ううちに、ぎゅっと抱きしめられた。
「…柚香、冷たいよ…こんなに冷えてるのにアイスコーヒーなんて…」
「ん…ごめ…あの…」
 急速に柚香の体が熱を持つ。胸が高鳴り、額に汗がにじみそうだ。どうしよう…あせる気持ちをもてあまし、春雪の背に手を回すことすらできなかった。

 まるで反応のない柚香に不安を感じたのは春雪だ。そりゃ最初はただ一方的に好きだと言われて付き合うことにしたけれど、今は春雪だって柚香を好きだと思っている。
 部屋に入ったときにも思ったが、こうも反応がないと自分は男だと思われてないような気になってくる。
「柚香…」
 声をかけ、腕を緩めて顔を覗き込んだら、柚香の顔は真っ赤になっていた。
 なんだ…緊張してるだけか…。
 五つも年下の彼女は初めてだから、こういう展開は予想してなかった。かちんこちんになっている柚香をこれからどう扱っていいのか、春雪は少し悩んだ。
 悩んだあげくにまたそっと頬に触れてみた。こんなに赤くなっているのに、柚香の肌はまだ少し冷たかった。

「…大丈夫?」
 春雪が言うと柚香はただ頷いた。何に大丈夫なのかもわかってないように見える。参ったなぁと春雪は柚香の頭を撫で、そのままさりげなくキスしてみた。
「わ…」
 あまりの驚きようにこっちも驚く。
「ごめん、イヤだった…?」
「う…ううん、イヤじゃないよ…」
 すっかり動揺しているのがわかり、春雪は頭をかいた。
 これは参った。今時の二十歳はもっと積極的かと思っていたのに…。出会って二度目に好きだと言った柚香をそんな風に理解していた春雪だったが、それとこれとは別らしい。
「もうちょっとしてもいい?」
 こんなこと聞くほうが恥ずかしいなと思った。けれど、聞かずにしたらまた柚香が驚くんじゃないかという不安がそうさせたのだ。
 柚香が頷くと、春雪はもう一度キスをした。今度はちゃんと重ねて、すぐには離れない。同時に握った手もやっぱり冷たくて、唇までなんだか冷たい気がした。
 唇が少し離れたとき、柚香がホッとしたように微かなため息をついた。ホントはイヤなんじゃないかと思ったら、むっとした。
 イヤならイヤって言えばいいのに…大人気ないかなと思いながら、今度は何も言わずにキスをする。
 やっぱり柚香はびくっとした。そして、腕を掴んで唇を深く重ね、少しだけ舌が触れると、ものすごい勢いで柚香は春雪から離れた。とんでもないことをしたとばかりに目はまん丸で、春雪が腕を離すと、そそくさともといた席に戻ってしまった。
「……ごめん」
 ぼそりと春雪が言ったが、柚香は首を振るだけだった。
 ダメだなぁ、俺のことさわやかな聖人君子だとか思ってるのかなぁ…参ったなぁ…。
 しばらく自分がついムキになってしてしまったことを後悔し、春雪はこたつにうつぶせて落ち込んだ。ついでにそんな春雪を見て、怒ったんだと勘違いした柚香も、目を潤ませて落ち込んだ。

 そのうち夕飯時になって、春雪はやっと気をとりなおして夕飯を作り始めた。そばで見ていた柚香は、火が怖いらしく、遠巻きにビクビク顔をしかめていた。動物みたいだなと思ったら、またかわいく思えて、春雪は笑った。
 笑われたのにショックをうけつつ、それでも春雪が笑ったからホッとした。柚香もやがていつものように笑顔を取り戻し、おかしな空気はどこかへ行ってしまった。

 こたつの上に湯気のたつ食事を並べ、席についた時、春雪はまた柚香の様子がおかしいのに気付いた。
「柚香、暑いの?」
「…う、うん…ちょっとね。…ごめん、やっぱり脱ぐ」
 柚香はセーターを脱いで、汗をぬぐい、腕まくりして、こたつから出た。そして、暖かいというより熱いんだろう食事を眺め、ため息をつく。
「これ嫌いだった?」
 春雪が言ったが、柚香はそんなことないよと笑って見せた。
 食事を始めてすぐ、柚香はまた汗を拭った。それでも必死に食べるから、春雪は見かねて熱いお茶の変わりに冷たい水を用意した。
 水を口にした柚香は、ホッとしたようで、食事の間中、何度も水を飲んでいた。
「もしかして、柚香っていつもここよりもっと寒いとこに住んでるの?」
「うん、そうなの…」
「……そっか…じゃあ、おかしくないんだ…」
「何が?」
「冬の間だけ寒いとこに来てるんじゃなくて、やっぱりあたたかいとこに来てるってことでしょ」
「うん、そうかもしれない。温まりに来てるわけじゃないんだけどね…」
「…ねぇ、春になったら…帰っちゃうの?」
 常々思っていたことをたずねると、柚香は今度こそ本当に泣きそうな顔になった。
「……帰りたくないけど…」
「…やっぱり帰るんだ…」
「うん…」
「じゃあ、冬しか会えないんだね…遠いんでしょ?」
「…うん」
「……そう…」
 春雪が残念そうな顔をしたから、柚香は嬉しくて…それでも悲しくて…後片付けを始めた春雪の背中を見つめ、ぽろりと涙をこぼした。

 帰りたくない…。
 一緒にいたい…。
 でも、そのためには…。

 ポロポロ涙を流しながら、考え込んでいた柚香に春雪が気付いたのはずいぶん後だった。こっちはこっちで、冬しか会えないとわかって思った以上に寂しいと思った自分に戸惑っていたから、後片付けに手間取ってしまったのだ。
「柚香? どうしたの?」
 春雪が優しく声をかけたら、柚香の涙は止まらなくなった。
「ごめんなさい、私、どうしても帰らなくちゃ、いけないの…一緒にいたいよ…ホントだよ、でも…」
「柚香…いいよ、しかたないよ…そんなことなんとでもなる、遠くても会いに行くからさ」
 しかし、柚香は首を振る。
「ダメなの…春雪は来られない場所だから…ごめんね…ごめん…」
「…そんな場所…ないよ…柚香に会うためならどこでもいくから…」
 抱きしめて握った柚香の手は相変わらず冷たい…さすがに春雪も驚いた。
「なんで…こんなに冷たいの…? さっきあんなに汗かいてたのに…柚香…大丈夫なの?」
「ごめ…私…」
 ひっくひっくとやりながら、手で涙を何度も拭い、柚香は言った。
「私、人間じゃないの…」
「え…」
「ゆ、雪…」
 固まってしまった春雪を見つめたら、これで嫌われてしまうのだと涙は次々溢れた。
「雪女…なの…」
「……そんな…冗談…」
「ウソじゃないの。いつもは雪のある山の中に住んでるの…冬はここでも暮らせるから毎年来てるけど…お…大人になって一人できたの始めてだったから…どうしていいかわかんなくて…そしたら…春雪に…会ったから…春雪が、雪の景色キレイだって言ったから…そばにいたいと思ったの…」
「…柚香…」
 春雪は柚香の手をもう一度握ろうとしてやめた。もし本当に言うとおりなら、暖めるのは逆効果なのかもしれない。けれど、柚香はまたそれを勘違いする。もう触れてもらえないのかと泣き崩れた。
「ごめんなさい…だますつもりじゃなかった…こんなに好きになるなんて思わなかったの…恋をしたときの決まりごと…ちゃんとわかってたつもりなのに…どうしても、勇気がなくて…このままずっと冬が続けばいいなんて思ってた…そんなのムリなのに…」
「…決まりごと…って…何?」
 春雪が呟き、柚香は顔をあげると、ぐいぐいと涙を止めるように手で押さえた。
「知ってるでしょ、雪女は男を氷付けにして連れて行くって…」
「…うん」
「それもホントの話…一方的に気持ちを貫く方法…自分が死にたくなければそうするのが決まりごとなの」
「……」
「でも、みんなが知らないもう一つの決まりごとがあるの…」
「何…?」
 柚香は涙を浮かべた目でしっかりと春雪を見つめて言った。
「恋した相手と体を重ねること…」
「…それで…どうなるの?」
「普通の人間とそうするのは、私たちにとっては命がけなの…体温が…上がりすぎて…消えてしまうかもしれないから…。でも、それを乗り越えて生きていられたら…少しだけ人間に近づくことができるの。全然平気ってわけにはいかないけど、この街くらいの季節なら、一年中過ごせるようになる…。私のお姉ちゃん…みんなに反対されたけど、命かけて…今はこの街で暮らしてるの」
「……」
 春雪は何も言えなくなって柚香の前に座り込んだ。
 男の命を犠牲にする道か、自分の命を危険にさらす道か…どちらかしかないと言われて、どっちがいいなんて言えなかった。できることなら氷付けになって一緒にいってやりたい…柚香の命をかけるくらいならそのほうがいい…。でも、違うのだ。本当に望んでいるのは、側にいて、一緒に笑い会える時間。きっと柚香もそれを望んでいるはずだ…そう、思いたかった。
「…柚香…俺は死ねない…」
「うん、わかってる…春雪を連れて行こうなんて思ってないよ」
「……キミにも死んでほしくないよ」
「…春雪…」
 でも、一緒にいたいんだ…。
 キミが好きだから…。
 俺だってこんなに好きになるなんて思わなかった…。
 言葉にしたら柚香をよけい辛くしてしまう気がして、言えなかった。

「…春雪…」
 柚香が呟く。
「私…命、かけてみたい…」
「でも…」
「だって、このままじゃずっと冬しか会えないし、そのうち春雪が他の誰かと私の知らないとこへ行っちゃうかもしれないなんて…そんなの死ぬよりずっと怖いよ。春雪がこんな私でもいいって思ってくれるなら、かけてみたい…」
「そんなことしてキミが死んだら…」
 わかっている。そうすることがおそらく二人が望む道に一番近いことくらい、わかっているのだ。
 春雪は柚香の手を取って、ぎゅっと抱きしめた。
「柚香…もし、ダメそうだったら…ちゃんと言って…消えちゃう前に…ちゃんと言って…約束して…」
「……うん、わかった」
 二人はぎゅっと強く抱きしめあって、キスをした。

 翌年の夏…。
「…柚香…またそんなにアイスばっかり…」
「だって暑いんだもんっ」
「だからってよくそんなに甘いもの食べられるね、キミは…」
「甘いの大好きっ」
「……あ、そう…」
 机に向かって仕事する春雪の後ろで、柚香は箱入りのアイスを抱えて、直接スプーンですくって食べている。柚香の体温があまり高くないから、アイスもなかなか溶けないようだ。
「春雪も食べる?」
「いらない」
「一口だけ、はい、あーん」
「いらないってば…」
「もうっ、たまには仕事休んだらっ、毎日毎日春雪の背中しか見てないっ」
「…しかたないでしょ、家でやってる仕事なんだから、休みなんてないんだよ」
「ふーんだ…いーもん…もう知らないっ」
 やっと静かになった。春雪はため息をついて仕事を続けた。

 が、なんだかヒヤリとした空気が背後から漂い始めた。クーラーの温度とはまるで違う…。
「今度は何始め…た…」
 くるっとイスごと回転した春雪は、言葉をなくした。
「ゆ…柚香…キミ…何、やってるの…」
 春雪の顔がひきつる。なんだかもう、熱が出てきそうだ。
 このくそ暑い夏に、しかもこのマンションの部屋のど真ん中に…柚香ではなく…雪だるまがいた…。
「…柚香…中にいるんでしょ」
「……」
「ねぇ…ちょっと…」
「……」
「なんで雪だるまなの…」
「……」
「頼むから…」
「……」
 春雪は額に手を当てて、大きなため息をついた。
「わかったよ…仕事はまた明日にするから…ねぇ…聞いてるの?」
 我ながら真剣に雪だるまに話しかける姿は情けないと思った。春雪は雪だるまの前にしゃがんで言った。
「…柚香、俺に雪掘り起こせってことなの…」
 すると、突然雪だるまがぐらぐらゆれ始めた。と、思ったら、ひゅうっと冷たい風に吸い込まれるように雪だるまの雪が消え、中から飛び出した柚香は春雪の首にわーいとしがみついた。
「あはは、びっくりしたぁ?」
「あのねぇ…」
「ねぇねぇ、春雪っ」
 しがみつく柚香の背に手を添えて、春雪は今度はなんだとばかりにあきれて見つめた。柚香はニッコリ笑って言った。
「私のこと好き?」
 あきれながらも微笑んで、スキだよと言ったら、柚香はホントに幸せそうな顔をした。
 ほらやっぱり…思ったとおり…苦労するよ…たぶん、この先もずっと…。
 そうして、春雪の部屋からは、一年中、楽しそうな柚香の笑い声が聞こえている。

End.

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