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雪の似合う彼女 1

 特になんの意味もなく、遠いところへ引っ越したくなった。ちょうど仕事にもなれ、そろそろ独立してもいい頃だ。春雪はふと思いつきで電車に乗り、引っ越す先を探した。
 乗った電車が北へ向かったから、決めたところは冬になると一面真っ白になる雪の多い町だった。雪の降る春の日に生まれ、春雪と名づけられた自分にぴったりじゃないかと思う。
 突然引っ越して独立すると言い出した春雪を止めるものはあまりいなかった。言っても聞かないだろうとわかっているからだ。

 それから半年後、春雪はその雪の街で生活を始めた。
 今までほとんど手をつけずにいた預金が役に立って、新しい場所での仕事が軌道にのるまでも、あまり不自由はしなかった。
 ヒマなときはあたりを散歩、少し歩くと自然でいっぱいの景色を堪能できるから、春雪はこの町が気に入っていた。のんびりするのが落ち着くのだ。都会の会社で毎日せかせか働くのはしょうに合わない。

 すっかり新しい町に満足して、のんびりのんびり、やがて冬がやってくる。
 雪国での生活に慣れるのはまだ少し難しかった。凍った道を歩くと滑ってしまうし、そう何度も散歩に出かけるわけにもいかない。
 どんどん雪が積もっていくのを窓から眺め、春雪はこれもいいかなと思っていた。

 そんなある日、窓から見ていた近くの丘に、誰かが立っているのが見えた。
 今の時期、あんなところに行く人も珍しく、春雪はなんだろうとじっと見ていたが、人影はそこから動かなかった。雪も降っているのに、ただ呆然と立ち尽くしている。そのうちやっとあきたのか、人影は丘から去っていった。

 次の日に、なんとなく春雪はその丘に行ってみることにした。もしかしたら景色がきれいなのかもしれない。そんな気楽な気持ちだった。
 思ったとおり、真っ白になった街を一望できて、景色はよかった。
 これでこんなに風が吹かなきゃもっといいのに、春雪はそう思ってしばらく景色を眺めていた。

 ひゅおおっと冷たい音を立てながら、一度激しい吹雪が起こり、春雪はそろそろ帰ろうかとゆっくり振り向いた。
「あれ?」
 いつの間にいたのか、春雪の後ろに女の人がいた。白い帽子、白いコート、白い服、白いブーツ…真っ白だ。
 彼女の方も春雪に驚いたようで、何も言わずにぽかんと見つめていた。
「あの、ここで…何してるの?」
 彼女が恐る恐る声をかけてきた。春雪は後ろを指差して言った。
「景色、綺麗かなと思って見に来たんだ」
「……景色…?」
「うん」
「あなた…この街のヒトじゃないの?」
「あぁ、引っ越してきたばっかりだからね」
「…そう…ここはあんまりヒトがこないから…」
「そうなの? でも…キミは来てるでしょ。昨日もここにいた?」
「えっ…うん…なんで知ってるの?」
「俺あそこに住んでるから、見えたんだ。ここに誰か立ってるの」
「……」
 彼女は春雪の指差した方を振り返って、マンションを確認してからまた春雪に向き直った。
「前はあんなとこにマンションなんてなかったのに…」
「新築みたいだからね…キミもこの辺のヒトじゃないの?」
「…えぇ…まぁ…ちょっと違うかな」
「ふーん…」
 お互い黙ってしまうと、彼女はうつむいて悲しそうな顔をした。どうかしたのと聞こうと思ったとき、ふいに顔をあげた彼女が言った。
「ねぇ、名前、なんていうの?」
「俺? 春の雪って書いてハルユキ」
「…春雪…いい名前ね」
「キミは?」
「…私…柚香…」
「……ここ好きなの?」
「ううん…別に…」
 ずっと悲しそうな顔をしているから、気にはなったが、ろくに知りもしない自分が追求するのも気の毒な気がして、春雪は頭をかいた。
「じゃあ、俺帰るね…」
「…え…」
 一瞬だけすがるような顔をした柚香は、またうつむいてしまった。春雪はゆっくりその場を離れ、マンションに戻っていった。

 あれから、あの丘に彼女の姿を見ることはなくなった。もしかしたらとっておきの場所だったりしたのかもしれない。いまさらどうしようもないから、春雪もあの丘を見るのをやめた。

 雪だらけの生活にも寒さにも少し慣れてきた。
 仕事の用事でどうしても出かけなくてはならなくなったから、ここのところずっと部屋にこもりきりだった春雪は、しかたなくマンションを出た。
 また雪が降っている。
 早く用事をすませて帰ろうと、滑らないように注意しながら急いだ。

 郵便局に行って、その帰りにちょっと買い物。
 いろいろ買いだめしておかないといけないな、春雪は今後のことを考えて山ほど食料を買った。
 両手に荷物を持って、店から出たとたん、誰かにぶつかってあやうくすべってこけそうになった。
「ごめんなさいっ」
「あぁ、大丈…あ、キミ…」
「え…あっ」
 顔を見合わせた柚香は、春雪だとわかると驚きのあと、少し嬉しそうな顔をした。
 彼女はあの日と同じ真っ白な服だった。
「この辺の人じゃないって言ってなかったっけ…」
「え、うん、えっと…そう、引っ越したの、あなたと同じ」
「…そうなの? 近く?」
「うん、すぐそこだと思うんだけど…」
「え?」
 柚香は手に持っていたメモを眺めて言った。
「場所がわからないの…前に来たときと景色が違う気がする…」
「見せて」
 春雪が荷物を持った手を差し出すと、柚香はメモを渡す代わりに荷物を片方持ってくれた。こんなに重いとは思わなかったとばかりに、柚香は両手でぎゅっと荷物をぶら下げる。
「あぁ、これならここまっすぐ行って、三つ目の角を左に曲がったとこ。そこまで行ったらたぶんわかるよ」
「…えーと…」
 もう一度メモを見ようと背伸びした柚香に、春雪は微笑んで言った。
「とちゅうまで道同じだから、一緒に行こうか」
「ホント? ありがとうっ」
 嬉しそうに笑った柚香は、メモをポケットにしまい、しばらく荷物を持っていたが、あんまり重たそうなので、結局春雪が受け取った。

「すぐ景色変わっちゃうから困るな、私方向音痴なのかも」
 荷物を持たなくなって、足取りの軽くなった柚香が言うと、春雪は少し笑った。なのかもじゃなくてそうなんでしょと言ったら、柚香は口を尖らせた。
「ここに来るの初めてじゃないの?」
「うん、毎年来るの」
「え? 毎年?」
「そう、冬だけここにいるの」
「…引っ越したって言わなかったっけ?」
「えっ、うん…えーとね、冬だけ引っ越すの」
 あせって言う柚香に微笑み、珍しいねと春雪は呟いた。
「やっぱりヘンかなぁ…」
 柚香がしょんぼりして言う。
「そだねぇ、夏だけ涼しいところへ行くって人はいるだろうけど、冬だけ…しかも寒いとこに行くって人はあんまりいないんじゃないかな…どうせならあったかいとこ行くだろうしね」
「……私、暑いの苦手なの」
「そっか…」
「春雪さんは暑いの平気?」
「ん、別に…でも…どっちかって言ったら寒いほうが好きかな」
「そう? そうだよねっ」
 さっきまでしょんぼりしていたのに、また柚香は明るい顔をして春雪を見上げた。コロコロ変わる表情がかわいく見えて、春雪はクスクス笑った。
「春雪さん、何歳?」
「25」
「そっか…私、20歳になったばっかりなんだ…」
「え? 20歳なの?」
「なんでそんな驚くの?」
「……もっと年下だと思ってた…」
「あっ、ひどいっ、そんなに子供みたいに見えるのっ」
「うん、見えるよ」
 春雪が笑いながら言うと、柚香はまた口を尖らせる。そんな顔するからだよと言ったら、今度は赤くなった。

「ここ、曲がったらすぐだよ。もうわかる?」
 三つ目の角まで来て春雪が言うと、柚香は答えずに春雪を見つめた。
「何?」
「ううん…あの…また、会える?」
「え…うん…どうせ近所だし…会うんじゃないかな」
「違う…そんなんじゃなくて…」
「ん? 何?」
 鈍感な色男の前で、柚香は真っ赤になってうつむいた。
「…あの…」
「うん」
「……この前、会った時から…ずっと…」
「ん?」
 首をかしげる春雪を、柚香は決意のまなざしで見上げた。
「好きになったの、春雪さんのこと」
「…え…」
「だから、近所だからとかじゃなくて、ちゃんと会いたいの」
「……」
 たいして表情も変えず柚香を見つめる春雪。柚香ははっとして呟いた。
「…もしかして…彼女いる…?」
「ううん」
「……子供は嫌い?」
「キミは子供じゃないでしょ」
「……じゃあ…私みたいなの好みじゃない?」
 すっかり断られるものだと思っているようで、柚香は眉をへの字にして泣きそうだった。
 なんて素直な子…。そんな風に泣かれたら、断ろうと思ってるやつでも断れないよ…。
 春雪は苦笑して言った。
「まだ何も言ってないでしょ。方向音痴の上に早合点得意なの?」
「え…」
「俺、キミの思ってるようなやつじゃないかもしれないけど…それでもいーの?」
「…うん、そんなの…一緒にいなきゃわかんないもん、だからいいの」
 みるみる柚香の顔が変わっていく。
 自然と春雪の顔がほころんだ。
 見てるとあきないけど、結構苦労するかもな…。
 そして、期待に目を輝かせる柚香にそれなら家まで送っていくよと言った。それが承諾の意味だとわかって、柚香は踊りだしそうに喜んだ。
 新しい街で、出会った真っ白な彼女。
 服だけじゃなくて、心の中まで真っ白なんじゃないかと、春雪は思うのだった。

 毎日雪が降って、どんどん雪国の冬は深くなっていく。
それなのに柚香はとても元気で、デートするのに外を歩くのもまるで苦にならないようだった。二度、三度はそうして外で会っていたが、さすがにこんな雪の中でデートしているコイビトたちも珍しい。
 春雪はおおはしゃぎの柚香に会うなら部屋の中でもいいんじゃないかと言った。
「…雪、嫌い?」
 またしょんぼりする。そんなに雪が好きなのとこっちがききたいくらいだ。
「そういう意味じゃなくて…寒いし、部屋の中の方がゆっくりできるでしょ?」
「…うん」
 もじもじして下を向く柚香を見て、春雪はまずったかなと思った。あんまり部屋に誘うのもヘンな話だ。
「……俺の部屋来るのイヤならキミの家でもいいよ?」
 しかし、柚香はなぜか必死でそれはダメと首を振って、それなら春雪の部屋に行くと言った。
 その様子が妙に慌てていたので、自分が思ったような理由で悩んでいたわけではないのだとわかった。
 それに、柚香の家に行くことがどうしてそんなに言うほどイヤなのか…それもわからなかった。
 すごく散らかっているんだとか、実は親がすごく怖いとか…マンションにつくまでいろいろ考えていたが、あえて柚香に聞きはしなかった。

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