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成姫 2
月の終わりが近づくと、惣介はたまに姿を消すようになった。自由にしていいと殿様に言われたからだ。最初の頃は成姫にもそばを離れる許可をもらいにきていたが、それを無視していたら何も言わなくなり、姿を消す回数が増えた。やがて、彼が時々城を出て、一人でどこかへ出かけていくらしいと噂が聞こえてくる。
成姫は思った。
そうだわ、あいつは素性も明かさないと誰かが言ってた。もしかしたら悪いやつで、城に入り込んで何かを探ってたのかもしれない。きっとこうして城を出て、女に会いに行くんだわ。それでそれは悪い女で、惣介は女のいいなりなんだわ。
勝手に話を作り上げ、成姫は考える。
よし、証拠を見つけてぎゃふんと言わせてやるわよ。
そして、成姫は町娘に扮し、城を出て行く惣介の後をこっそりつけるのだった。
惣介はどんどん歩いて、どんな店にも寄らず、まっすぐある長屋に向かっていった。成姫はそれをみて、そうか女は長屋に住んでいるんだと鼻息荒く惣介の後をつけていく。
「あ、惣介さん、おかえり」
「ただいま」
長屋の人に声をかけられて、惣介はニッコリ笑った。成姫はどきりとした。あんな顔初めて見た。
惣介は目指す部屋の戸を開けるなり言った。
「セイ、ただいま」
え?
成姫は眉を寄せて様子を見守った。
セイだって? 私と同じ名前だわ、なんてことなんだろう…。
惣介が部屋に入って戸を閉めてしまうと、成姫は座り込んだ。ここで見張って女が出てくるのを待とう。
長屋の人たちが成姫に気付いて、怪訝そうな顔をしていたが、成姫はまるで気がつかない。じっと惣介の部屋を見つめ続けている。
どのぐらいたったか、そろそろ日が暮れるころ、見かねた長屋の人が成姫に声をかけてきた。
「娘さん、いったい何をしてるんだね?」
「え?」
「惣介さんに用なら声をかけていきなさい、まだいると思うから」
「…え、いいえ、私は…」
ヘンな娘だと顔をしかめたその人から目をそらし、成姫は困ったなと思った。そのとき、惣介の部屋の戸が開いて、その人は振り返った。
「あ、惣介さん、あんたにお客さんだよ」
しかし、成姫は慌ててその場を逃げ出した。あの人の影になっていたからきっと顔はわからなかったはずだ。
成姫は走って走って、城より近い屋敷に向かうことにした。
「きゃぁっ」
角をまがったとたん、誰かにぶつかって、成姫はしりもちをついた。
「いてて…」
「おい、お嬢さんよ、ちゃんと前見てあるかねぇとあぶねぇぞ」
「あ、ごめんなさい…」
成姫は立ち上がって埃をはらい、ぺこりと男に頭を下げた。そして、そのまま通り過ぎようと男の横をすり抜けた。
「ちょっと待てよ」
「えっ」
ぐいっと腕を引っ張られ、成姫は目を丸くした。何事かと思って顔を見上げたら、男はじろじろと成姫を眺め、にっと笑った。
「あんたどっかで見たような気がしたんだが」
「き、気のせいです」
焦って首を振ると、男は言った。
「あぁ、気のせいかもな。でも、ホント…よく似てる」
「な、何のことです…」
「領主の娘、成姫様だよ。俺も一度しか見たことねぇがな。えらくいい女だった…あんた、成姫によく似てるよ」
「そ、そうですか…ありがとう。あの、私ちょっと急ぐもので」
「まぁ、いいじゃねぇか、名前くらい教えてくれてもばちはあたらないだろ」
「…え、名前、名前は…えーと…」
「なんだ? 自分の名前もわかんねぇのか? もしかしてホントの成姫様なんじゃねぇだろなぁ?」
本気じゃないのか男はあははと笑った。しかし、きつく掴んだ腕は離してくれない。成姫は不安になり、ぐいと腕を引っ張った。
「放してください。急ぐんですっ」
「あのなぁ、人にぶつかっておいて、大丈夫ですかの一言もねぇのか?」
「え、あ、ごめんなさい。でも、転んだのは私の方…」
「ぶつかったのはそっちだろ。まぁ、いいや…ちょっと付き合えよ」
「な、ちょ、どこに行くんですかっ、放してっ」
男に引っ張られ、人気のないところまで連れて行かれる。成姫の心にいつかの恐怖が蘇る。自然と涙が浮かんで、必死で腕を振り解こうともがいた。
「いや、放して、放しなさいっ、無礼者っ」
「あはは、なんだ、姫様になったつもりか? いくら似ててもそりゃあ失礼ってもんだぜ。こんなとこにホントの姫様がいるわけないんだからなぁ、そんなボロなんか着てよ」
「お願い、放してっ、誰か…助けてっ」
「大声出すなよ、うるせぇなぁっ」
また口を塞がれそうになる。成姫は涙を浮かべて、男の手がかかる前に叫んだ。
「惣介…っ、助けてっ」
もうダメだ。
呼んだって来てくれるわけがない。
あんなに嫌っていたんだから、嫌われていたってしかたない。
でも違う。 ホントは悔しかっただけ。
私を見てくれないのが、悔しかっただけ。
ただ黙って側にいてくれるから、わがままになっていた。
ホントはもっとあなたのことを知りたかった。
何もいわないあなたのことを。
時々優しい目で見ていてくれるのを知っていたから。
あなただけは違うんだと思ってた。
ほかの男とは違う。
スキに…なりかけていたのに…。
素直に…なれなかった。
「はは、ホントに見れば見るほど姫様にそっくりだ。いい女だよ、お前。これでホントの姫様だったら…俺は打ち首なんだろうなぁ」
男は笑った。きっと今私は本物だと言ったって聞いてくれないだろう。
「…打ち首…だね」
静かな声が聞こえた。
男が振り返ると、喉元にはきらりと光る刀が添えられていた。ひっと息を呑んで、男は固まった。恐る恐る視線を上げると、また息を呑む。なんて目だ。
男を睨みすえる惣介の瞳は、いつものぼんやりした目じゃなかった。刀より鋭く、男を刺し貫く。
「な、なんだ…どういうこと…」
「その人は成姫様…本物だよ」
「えっ?」
「…だから、あんたは打ち首だ」
「ちょ、ちょっと待て、なんだって成姫様がこんな格好でこんなとこに…そんなバカな話があるかっ」
「ねぇ、あんた。たとえその人が成姫様じゃなかったとしても、女の人を力ずくでどうにかしようとするなんて…正しいことじゃないよね」
「そ、そりゃ…、わかったよ、もう二度としねぇよ。だからその刀引っ込めてくれ」
「なんで? あんたは打ち首だろ?」
「ま、マジで言ってんのかっ、やめてくれ、許してくれよ」
「あんたはさっき姫様がやめてって言ってもやめなかったよ。誰が許しても俺は許さない…絶対にね」
「う、うわあ、やめろ、やめてくれっ」
惣介の刀が少し角度を変え、キラリと光った。
呆然としていた成姫は、目を見開いて言った。
「ダメ…っ、やめてください、惣介どのっ」
「…姫…?」
「……私が悪いのです。この前もそうだった、今回もそう、自業自得です。だからやめてください」
惣介はしばらく黙って成姫を見つめていたが、やがてゆっくりと刀を引き、鞘に収めた。男は足をもつれさせながら大慌てで逃げていった。
「…姫、大丈夫ですか?」
「……はい」
「城へ帰りましょう」
「…いいえ、今日は…屋敷へ戻ります」
「そうですか…」
差し出された惣介の手を取って、成姫は立ち上がり、うつむいて屋敷への道をとぼとぼと歩いた。惣介は何も言わない。いつものように。
「どうして聞かないんですか。こんな格好でこんなところにいるなんて…おかしいと思わないんですか」
「…思いますよ」
「…じゃあ、どうして」
「きいたら話してくれるんですか?」
「……」
結局、二人は屋敷につくまで黙ったままだった。
城に使いを出し、姫は無事だと伝えたが、惣介が一緒なのを知ったからか、迎えは来なかった。恵の代わりにてきぱきと使用人に支持を出す惣介の背中を、夜が来るまで成姫はずっと眺めていた。
湯船につかって、成姫はため息をつく。
これからどうしよう。
あと数日で惣介はいなくなる。あの長屋のセイという娘と暮らすのだろう。
もっと早く素直になれたら…それでも、惣介はあそこへ帰っただろうか。
「姫、湯加減はどうですか」
惣介の声がして、成姫はドキッとした。まさか覗くなんてことはあるわけないが、壁の向こうに惣介がいるというだけで、ドキドキした。
「大丈夫、ありがとう…」
「…そうですか、俺ここにいますから、何かあったら言ってください」
「……」
そう、惣介は用心棒として雇われているから、こんなに優しいのだ。
きっと嫌っているだろう。
セイという人はきっといい人なんだろう。
「惣介どの」
「はい」
「…一緒に暮らしている人は…どんな方ですか?」
「え?」
「私なんかと違って気の利く優しい方なんでしょうね」
「…あの」
惣介は少し笑いながら言った。
「長屋のことなら、あそこには誰もいませんよ」
「え? でも……惣介どの、どうして笑うんです」
クスクス笑う惣介に、ちょっとだけむっとした。すると彼は言った。
「セイは猫です。俺の飼ってる猫の名前ですよ」
「え? 猫? どうして猫にそんな名前…」
「…あれは死んだ友人の名前なんです。猫ももともと彼がかわいがってた。名前がなかったからセイと呼んでる…あなたの名前と同じなのは偶然です」
「……そう…」
ほっとしたのと、残念なのと、成姫は複雑な胸の内を惣介に話そうかどうか迷った。
「惣介どの…」
「はい」
「私を…嫌っているでしょうね…。ずいぶん嫌な女でしたから…」
「…そんなことないです。あなたはとてもかわいい」
「……」
「姫、俺が言っているのは姿形のことじゃないですよ。目を閉じていても思います。あなたはかわいい人ですよ」
「…惣介どの…」
もう何も言えなくなって、成姫は風呂を出た。
俺はいいと言う惣介を無理矢理風呂に押し込めて、成姫は風呂場の前でしゃがんでひざに顔を埋めていた。
スキ。
口に出して言えないもどかしさが、成姫の胸をしめつけた。
今更言えない…。
人をスキだと思うことが、こんなに苦しいなんて知らなかった。
人に嫌いだといわれることが、こんなに辛いなんて思わなかった。
今まで自分が拒んではねつけていた男たちの中に、もしかしたら純粋にそんなキモチを持っていた人がいたのかもしれない。悪いことをした…。辛いキモチを味あわせてしまったんだろう。
「姫、何してるんですか」
風呂から出てきた惣介が、しゃがんでいた成姫に手を差し出した。
見上げた瞳に涙が浮かんでいたのを、惣介は見ないふりをしていた。
黙って後をついてくる。
今まではそれでよかった。
それが嬉しかった。
でも、今は…。
成姫の部屋の前で立ち止まり、ここにいますと言った惣介を振り返って、成姫は首を振った。
「今夜は眠れそうにありません…側にいて何か話をしてください」
「…俺は話すのが苦手です」
「それなら、側にいてくれるだけでいい…」
「……わかりました」
部屋に入り、戸を閉めた惣介は、ちょっとため息をついた。それに気がついた成姫は、やっぱり嫌われているんだと、目を伏せ、あまりの辛さに少しめまいさえ覚えるほどだった。
めまいをこらえ、足を踏み出したら、よろりと足がもつれた。
「え…っ」
振り向きざま、とっさに惣介が手を伸ばした。それでも間に合わず、成姫は布団の上に倒れこみ、寸前に伸ばした手で惣介の襟を掴んでしまった。
「……あ…」
気がついたら、布団の上で惣介は成姫の上にいた。
……。
「あの…すみません、姫様。わざとじゃないです…」
そういったものの、惣介は動けなかった。自分でも不思議なくらい、まるで金縛りにでもあったかのように、成姫を見つめてしまう。
参ったな…。
すると、驚いていた成姫の顔が、少し悲しそうに沈んだ。もう一度、すみませんと言ってムリに体を起こそうとした惣介だったが、今度は伸びてきた成姫の腕に捕らえられ、動けなくなった。
「…姫…あの…」
成姫は惣介の首を引き寄せ、強く抱きしめた。胸が破裂しそうだ。
「惣介どの、私は…」
「……」
「そなたが…好きです。もうすぐいなくなると思うだけで、胸が苦しい…こんなキモチは初めてです。ずっと…こうしていたい…」
「姫…」
惣介の声が耳元で低く響いた。迷惑だと言われて、はねつけられたら、きっと辛さに耐えられなくて死んでしまう。成姫の腕は少し震えていた。
「惣介…」
成姫が呟くと、じっと動かずに黙っていた惣介は、ぐいっと成姫の体を抱き寄せた。
「俺も…スキです」
「え?」
「あなたが結婚を望まないと聞いて…少しでも側にいられるように用心棒になった…」
「…そなたは…いったい」
「昔一度だけ会ったことがあります…あなたは憶えていないかもしれないけど…。俺はずっと忘れられなかった…」
惣介の腕に強く抱きしめられ、成姫は涙を浮かべた。もちろん、嬉し涙を。
二人は見つめあって、口付けをした。
もう離れたくない。
ずっと側にいてほしい。
どこにもいかないでほしい。
成姫は惣介に身を任せ、もうすぐくる別れの時を思い、涙は止まらなかった。
「な、なんですって、今、なんと…」
成姫は惣介と父の顔を交互に見つめて、おろおろとやり場のないキモチをもてあました。
「だからその…惣介どのは…藤島家当主の嫡男で…」
「藤島家って、あの藤島家のことですかっ」
「あ、あぁ、そうだ…」
頷いた父を見て、成姫はめまいを覚えた。
藤島家は将軍の側に仕える由緒正しい家柄で、父よりずいぶん格上だった。惣介がその跡取りだったとは…。たしかに一度会ったことがあるかもしれない。小さかったからあまり憶えていないけれど。
「ち、父上はそれをご存知だったのですかっ」
「あぁ、そうだ…知っていた」
「…どうしてそんな方を用心棒なんかに…っ」
今にも暴れだしそうな成姫に苦笑してみせた父は、惣介と顔を見合わせて言った。
「惣介どのがどうしてもお前を嫁にほしいとおっしゃったのだが、お前はあんなだったし…いくらなんでも藤島家の求婚をあんな風にはねつけるなんて恐ろしくてかなわんからな…最初は断ったのだ」
それなら用心棒をすると惣介が言い出した。田舎の小さな国だから、素性を隠していれば彼の顔を知っている者はいない。
殿様は考えた。
もしこれで二人がうまくいけば安泰だし…ダメならあきらめようと…期限つきで承諾したのだ。
「もうダメかと思っていたんだが…いや、よかった。お前がその気になったのなら問題はない…惣介どの、どうかこのおてんば娘をよろしくお願いします」
「はい」
ニッコリ笑った惣介を見つめて、成姫は口をぱくぱく…。
「私が…藤島家に嫁入りするっていうんですかっ」
「そうだ。お前、今自分で言っただろう、惣介どのの妻になると」
「それはそんなこと知らなかったから…っ」
身分違いの恋を貫く覚悟だった。あの長屋で猫のセイと一緒に暮すんだと思っていた。
たしかに、身分違いには変わりないけれど。
「姫、イヤなんですか?」
惣介が言った。ちょっと苦笑したその顔を見ていたら、きゅんと胸を掴まれる。
「イヤなら俺は家を捨ててもかまいません。どうせ、元からスキ勝手に生きているんですから…家は弟がいれば大丈夫…」
「惣介どの…」
成姫は首を振った。いくらなんでもそこまでさせられない。それにもう、姫の身も心も惣介のものなのだ。どこへだってついていこう。
「…私なんかが勤まるでしょうか」
「へーきです。黙って座っててもなんとかなるものですよ」
「……」
「俺はあなたがいればいい。成姫様…どうか、俺と共に来てください」
優しく微笑んだ惣介を見上げ、成姫はゆっくり深く頷いた。
「はい…」
数ヶ月後、二人はめでたく夫婦となった。
しかし、人妻になった今でも、ちょっぴりおてんばなのは直らないらしい。実家の父がそれをハラハラ見守っていることなど、これっぽっちも気付かない成姫なのだった。
End.
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