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ある恋の物語 1
それは風の強い日だった。
通りすがりに横切った小さな野原。
一度つよく吹きつけた風に乗って、微かな女の声が聞こえた。顔を上げたら、つんでいた花を風に飛ばされ、髪とスカートをなびかせて残念そうな顔をした一人の少女がいた。
遠くから見ただけだったのに、いくら時間が経っても、彼女の顔を忘れることはできなかった。
意味もなくため息が出て、日に日に彼女への想いが募る。
もう一度…会えたら…。
そう、思った。
どこの誰かもわからない。
それなのに、この苦しさには勝てなかった。
彼女を探しに行こう。
叶わない…許されないことだとは、心のどこかでわかっていた。
ただ一度…もう一度だけ、彼女の姿を見られるだけでいい。
星の煌く真夜中に、彼は彼女を探しに出るのだった。
がさがさ、ぱきっ。
突然背後の林から物音がして、セリアは振りかえった。夕暮れの空に怪しげな雲。雨が振り出しそうだった。
「…誰か…いるの?」
声をかけたが返事はなかった。獣かもしれない。そう思ったら、少し体が震えた。急いで帰ろうか、そう思った時、さっきの場所から、微かに聞こえた苦しそうな吐息。
「…ねぇ、誰かいるの?」
すぐにでも逃げ出せるように、そっと林の影を覗きこんだ。
「あっ」
セリアは息を呑み、慌てて茂みにわけ入った。
「大丈夫ですかっ」
そこにいたのは若い男で、わき腹から血を流して倒れていた。旅人とは違うようだった。着ているものはボロボロのシャツが一枚、ズボンも少し擦り切れていた。
「ねぇ、しっかりして」
セリアは血がつくのもかまわず彼を抱き起こし、腰に巻いていたエプロンを外し、傷口に当てた。いくら押さえても、血は次々に溢れ出してくる。そうとう深い傷だ。彼はただ弱々しい息をするだけで、何も答えなかった。痛みと苦しみに顔をしかめ、閉じたまぶたがピクリと動いた。
「魔物に襲われたんだね…」
セリアが呟くと、彼はゆっくりと目を開いた。呆然として、セリアがほとんど見えていないようだった。
「大丈夫、ちゃんと手当てすればきっとよくなるよ」
そう言って彼の顔をじっと見つめたセリアは、突然体を固くして、言葉をなくした。
薄く開いたまぶたの間から、セリアを見つめるその瞳は…金色に輝いていた。
「…ま…」
セリアは彼を抱いている腕が震えるのを抑えられなかった。金色の瞳は、魔物の証。人に化けられる魔物でさえ、その瞳の色は変えられないという。
「……」
どうしよう…。
セリアはこの若者が魔物であることと、瀕死のキズを負っていることとを何度も頭の中にめぐらせた。
助けるべきか、放っておくべきか…。
これが魔物の姿のままなら、キズついていようがいまいが、とっくに逃げ出していただろう。近づく前に瞳の色がわかっていても、そうしていたのかもしれない…。けれど、こうして彼を抱き、間近で顔を見ていると、ただ苦しさにうめく怪我人にしか見えなかった。たとえ瞳が金色だったとしても、その姿はこのまま放置してしまうにはあまりに哀れだった。
それでも迷う。魔物は人を襲うもの。小さいころからそう教えられていたし、実際そうして亡くなった人を何人も知っている。この男がキズを癒した後、村を襲わない保証はどこにもなかった。震える腕をどうすることもできず、彼を抱いたまま、セリアは黙って考え込んでいた。
早く手当てしないとダメかもしれない。でも…。
すると、彼はようやくセリアの顔を見ることができたのか、少しだけ驚いた顔をして、やがて、ふっと微笑んだ。
「……夢…を…見て…るの、か…」
「え?」
「キミに…会える…な、て…」
「…何…」
「もう…死んでも…かまわ…ない…」
そして、彼はがくりとセリアの腕の中で意識を失った。
セリアは驚きと戸惑いでまたしばらく動けなかった。しかし、もう迷わなかった。
彼を背負って村に戻ろうとしたが、セリアよりはるかに身長の高い彼を連れて歩くことはできそうになかった。
「…待ってて、人を…呼んでくるから」
セリアはそう言って駆けだした。もう、日が暮れそうだ。急がないと夜になる。他の魔物が現われる前に、彼を…。
村に向かうセリアの脳裏に、意識を失う前の、彼の優しい眼差しがはっきりと浮かんでいた。
セリアはベッドの脇に置いたイスに腰掛け、昼も夜も彼の側にいた。あれからもう一週間が経ったが、ただ息をするだけで、目を覚まそうとはしなかった。彼を運んでくれた人は、ただの追いはぎにあった旅人だと思っているようだ。彼が目を閉じていたから、魔物だと気付かなかったのだ。驚いたことに、彼のキズは人間よりはるかに早い速度で回復していった。そのことを誰にも知られないために、セリアは毎日手当てしているふりを続けている。彼が魔物だとばれたら、目も覚まさないうちに村から追い出されてしまうだろうから。
セリアはあれから、彼が目を覚ました時に必要だろうと、いろんな食べ物を用意していた。果物や木の実、薬草もある。そして、少しの肉。まさか人間の肉など用意できるわけがないから、しかたなく家畜の肉を選んだ。それでかまわないと言ってくれることを願うことしかできない。
「…ねぇ、いつになったら目がさめるの?」
呟いてみたけれど、彼は相変わらず眠ったままだった。セリアは野原でつんできた花をベッドの側に生けて、ため息をついた。
気になるのは彼のあの優しい目と最後の言葉。
キミに会えるなんて…。
まるで前からセリアのことを知っているような口ぶりだった。
どうして…?
魔物のあなたが、どうして私を知っているの?
聞きたいことはたくさんあった。
今日もダメだったのだとあきらめ、ベッドに背を向けた。
「……」
ぎし、ベッドがきしんだ。
驚いて振り向いたセリアは、大急ぎでベッドに駆け寄った。
彼はゆっくりと手を上げ、額に手を当てた。ため息をついた後、またゆっくりと手をどけ、側にいるセリアを見つめた。
「……キミは…」
「もう、キズは治ったから、大丈夫だよ。よかった、目がさめて…」
「…ここは、キミの家?」
「うん…」
「……夢じゃなかったのか…」
「そうだよ…」
セリアはまたイスに腰掛け、彼に微笑みかけた。
「私はセリア。あなたは?」
「…俺は…キーノ…。どうして…俺を…助けてくれたんだ?」
「……」
「魔物だって…知ってるんだろ…?」
「うん…」
セリアは頷いて、キーノの目を見つめた。
ほら、優しい目…。
「あなたに聞きたいことがあったから…」
「聞きたいこと?」
「そう…たくさんあるよ。でも…その前に、ずっと寝てたからお腹すいてるでしょう? 何がいいかわからないからいろいろ用意してみたんだけど…」
「……ありがとう」
彼は体を起こして、何もいらないんだと言った。
「どうして? ……こんな肉じゃ…ダメかな…」
「いや、そうじゃない。しばらく食べなくても死にはしない。水だけ飲んでても十年は生きられる…だから、ヘーキだ」
「…そうなの…」
ちょっと残念そうな顔をしたセリアを見つめ、キーノは言った。
「キミが食べるといい。ずっと見ててくれたんだろう、すまない…迷惑かけたみたいだ」
「そんなのはいい…でも…私一人でこんなに食べられないよ…」
きっとたくさん食べるだろうと思って、いっぱい用意してたんだとセリアが言うと、キーノは笑った。そして言った。
「そう…じゃあ、一緒に食べようか」
「食べられるの?」
「ああ、食べなくても死なないけど、食べても死なない」
ヘンなことを言ったキーノをじっと見つめて、セリアは笑い出した。
優しい目をした優しい魔物…信じられないけど、彼はここにいる。
セリアの家族も魔物に殺されて、ずっと一人で暮らしていた。魔物を憎んでいたはずなのに、彼は違う、心からそう思えた。
それからしばらく、セリアはキーノと暮らした。魔物だとばれないように、キーノはずっと家の中にいたけれど、寂しかった一人きりの家だったのに、ドアを開けると向かえてくれる優しい笑顔が待っている。そう思えば幸せだった。
当然かのように、二人は恋に落ちた。
愛する人との幸せな暮らし。
セリアはずっといつまでも続くものだと思っていた。
ある日、夜になってからセリアの家を数人の村人が尋ねてきた。その一人は村長で、戸惑うセリアを押しのけ、彼らは家に足を踏み入れた。
「やっぱり!」
村長はキーノを見て言った。
「そいつは魔物だ。わかっているのか、セリアっ」
「そ、それは…」
「その様子じゃ知っていてかくまっていたようだな」
「……ごめんなさい。でも、キーノは…違うんです。他の魔物とは違う。とても優しい人です。人を襲ったりしませんっ」
「セリア…お前の家族が魔物に殺されてから、あんなに面倒みてやったのに…その恩を忘れたとでもいうのかっ」
「そんなことありません、村のみんなには感謝していますっ、本当です」
「優しい魔物なんているわけがないだろう。なぜわからないんだ。お前をダマして、いつかこの村を襲う気なんだ。今ならまだ間に合う。その魔物をここから追い出すんだ」
しかし、セリアは首を振って、キーノの前に立ちはだかった。
「イヤですっ、彼はそんなことしないっ、私を…人間を愛してるって言ってくれたんですっ」
「なんてことだ…魔物に魅入られたのか…信じられん」
「私も彼を愛してます。どうしても彼を追い出すなら、私もここを出ますっ」
「セリア…」
キーノが悲しげに呟いて、セリアの肩に触れた。振りかえると、キーノはまっすぐ村長を見つめて言った。
「わかった…俺が…ここを出る。彼女は俺を助けてくれた…だから、この村にはもう…近づかない…」
「…ふん、魔物の言うことなど信用できんな。ちゃんと出ていくか見届ける…一緒に来てもらおうか」
「……ああ」
キーノは一度だけセリアを見つめ、何も言わずに微笑んだ。
さよなら。
村長たちと一緒に家を出ていくキーノの背中を見つめ、セリアは立ちすくんでいた。後を追っちゃいけないよ、キーノの目がそう言っていた気がした。
しかし…。
「待って、待ってくださいっ。行かないで、キーノっ」
セリアはキーノを追って、家を飛び出した。
もうずいぶん遠くに松明の灯りが見えた。村を出ていってしまう。
セリアは必死で追いかけ、様子を見に出てきていた村の人に止められても、振りほどいて走った。
イヤな予感がする。
キーノが…いなくなってしまう。
「キーノッ」
近づいてきた松明に向かって呼んだ。振りかえった村長は、顔をしかめ、側にいた村人に合図した。
「やめてっ」
セリアが叫んだが、村人は持っていた槍をキーノに向かって突き出した。
バキっ。
槍の折れる音がして、キーノを囲んでいた村人たちがざわめいた。セリアが駆け寄ると、キーノは槍を掴んで握りつぶし、闇の中に金色の瞳が光っていた。
「…本性をあらわしたな」
村長が言った。
「……どうして…」
キーノは穏やかな声で言う。
「俺はもうここには来ないって言ったのに…」
「信じられるものかっ、セリアを惑わすためにまたやってくるつもりだろうっ」
キーノは首を振った。そして思い出す、セリアを探していただけのキーノを襲った人間たち。瀕死のキズをおったのはそのせいだった。
「…どうして…人間はいつもそうなんだ…。何もわかっちゃいない…金の眼をもつもの全てが悪だと思い込んでいる…。それで、俺の仲間が意味もなく殺されたというのに…」
「キーノ…」
セリアは震えた声で呟き、駆け寄ろうとしたところを、引きとめられた。
「放してよっ、キーノと一緒に行くっ」
「やめなさい、セリアっ」
「イヤだよっ、キーノを殺すなら、私も死ぬからっ、放して、放してよっ」
もがくセリアを見つめ、キーノが言った。
「セリア…ホントに…俺と来るつもりなのか…?」
「そうだよ、ずっと一緒にいようって言ったじゃない。ずっと側にいてくれるって言ったじゃないっ」
「…そうか…なら、一緒に行こう…」
キーノが手を差し出した。すると、ものすごい風が村人たちに吹きつけ、セリアを掴んでいた村人は思わず手を離した。自由になったセリアはキーノに駆け寄り、その胸に飛び込んだ。
キーノはセリアを抱きしめて、村人たちに言った。
「俺を傷付けるのはしかたない…でも、セリアをこれ以上傷付けるつもりなら…俺はお前たちの言う凶暴な魔物になったってかまわない」
村長を始め、村人たちは、そのキーノの瞳が今まであったどんな魔物より恐ろしいものに見えた。人の姿をしているだけで、その正体はおそらく自分たちでは手も足も出ないほどの力を秘めているのだと、誰もが思った。
やがて、村長はセリアをあきらめ、背を向けた。
「セリア…お前はもうこの村の人間ではない。何があっても、二度と戻ってくるな…。いいか…二度と戻ってくるな…」
「…ごめんなさい、村長さん…私…」
セリアの言葉を聞かぬふりをして、村長は村へ戻って行った。村人たちもいなくなり、真夜中に二人きり…。これからどうするかも考えていない。少しの不安も、キーノの腕に抱きしめられたら、なんでもないことのように思えた。
「セリア、キミの帰る場所…なくなってしまったな…」
「うん…でも、あなたがいるから…どんなことも耐えられる…」
「……セリア…」
愛してるよ。
囁いた二人は、きつく抱きしめあって、口付けた。
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