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碧い記憶 5 Maio,342 ‐5‐
ルリスだけじゃなく、きっとみんな少しは疲れていたのだ。
城の謎の正体に近づいているからか、いろんなことがいっぺんに起こる。
ちゃんとそれぞれに息抜きしているはずなのだが、意識しないでいても緊張はしている。
うろうろと働きづめに見えるラファレェラにとって、調理場へ行ってお菓子を作るのは息抜きの一つでもあった。
「おはようございます、ラファレェラさん」
調理場の戸を開けると、すぐにエステレラの声が聞こえてきた。
そこで少しだけ自分の視線が下向きだったことがわかって、ラファレェラはしっかり前を向き直った。みればエステレラはちゃんとこっちを向いて、ニコリと微笑んでいた。
「エステレラさん、おはようございますっ」
どうやら今から昼と夜の食事の下ごしらえをしているようで、手元は休まず動いていた。手伝い係のファルケがいなくて困ってはいないだろうか、ふとそんなことを思う。
「今日のおやつは何を?」
「えっと、寮に持っていきやすいようにクッキーを焼きます。お邪魔じゃないですか?」
「大丈夫ですよ、こちらはもうすぐひと段落しますから」
てきぱき動くのは急いでいるからでも間に合わないからでもなくて、彼が手馴れていただけだった。もともと、ファルケに手伝い係をいいつけるまでは長い間一人でやっていたことなのだ。
やがて、ラファレェラが準備をする間に、エステレラの仕事は終わってしまった。こちらも手が開けば手伝おうかと思っていたのだが、片づけをすませたエステレラの方が、反対にラファレェラの手伝いを買って出た。
いつも並んで料理とお菓子作りをやっていたが、一緒にお菓子作りをするのは初めてだ。それでわかったことだが、エステレラはお菓子作りには慣れていないから、てきぱきはできないらしい。なんでもできてしまう人だと思っていたから、意外だった。
完成した生地をオーブンにいれた後は、またエステレラの作業を二人でやることにした。ラファレェラはいつになく楽しい作業の間に、言いそびれていたことを口にする。
「エステレラさん、みんなでルアさんの記憶探ししても良いっていってくださって、ありがとうございます」
思ってもいないことだったから、エステレラはいえとんでもないですとあわてた答えを返した。
大きな謎も不安も、全員で少しずつ暴いていけば乗り越えられないことはないはずだ。そんなラファレェラの言葉に、エステレラは優しく頷いた。
ラファレェラも笑い返し、少し前この場所であったことを思い返す。
「前にルアさんの好きなお花を聞いたこと、覚えてますか? エステレラさんに聞いたあと、ラファレェラものすごく、しまった…!って思ったんです。えへへ」
今だから言える、ひやひやした時の話。
エステレラとこんな話をするなんて、思いもしなかったことだ。
彼もまた同じ日のことを思い出していて、懐かしいように少し笑った。
「驚いたのは確かです。でも、私はそれよりずっと前から、なんとなくはわかっていたんです」
その後、ルアの好きだった花のことを思い出し、買ってこようと思ったのも、ラファレェラの口からあんな風にきかなければ、そうしなかっただろう。同時にルアが思い出してしまった時のことを恐れ、みっともなく逃げようとまでしてしまった。
「隠していることへの罪悪感も、ルアさまの好きにさせてやりたいと思う気持ちも、自分がただおびえているという事実も、私の中には同時にあったのです。だから、皆さんが何かを探っているだろうと気づいても、気づいていないと自分に言い聞かせていたのでしょう」
それは何の解決にもなっていなくて、だからこそ今こんなにホッとしているんだと。
――がチャ。
ノックも無しに突然ドアが開いて、ラファレェラもエステレラも飛びあがった。作業と会話に夢中で誰かが廊下をやってきたのに気づかなかったのだ。
「……おっ」
入ってきた方――なんだか疲れた顔をしたマリオンも、二人がいて驚いた顔をしていた。そしてすぐぷるぷると首を横に振る。
「い、いや、違うぞ、つまみ食いなんかしにきてないぞ」
「何も言ってないですよ、マリオンさん」
「うん? そうか? なら、いいんだけどさぁ…」
ちょうどさっきオーブンに入れたものが焼ける頃で、辺りに甘い香りがただよっていたのだろう。それにつられてきたのと、もう一つは「ファルケがいるときはこっそりつまみ食いをしてる」という習慣のせいかもしれない。
ファルケはまだ具合がよくないから、ルリスと一緒に休んでいた。体調は万全のはずのマリオンの元気がない理由はそれだ。
「ちょうど今お見舞いに持って行くのが焼けたところなんです、よかったらマリオンさんもどうぞ」
お菓子を分けてもらったうれしさで元気のなかった顔が微妙につやつやしたような気がする。マリオンはもらったお菓子をポケットに詰め込んで、お見舞いにいくラファレェラの代わりにしっかりと荷物を抱えた。
「エステレラさんは一緒に行きませんか?」
「いえ、私はここを終わらせてしまおうと思いますので、ルリスさんとファルケさんにお大事にと伝えてください」
「わかりました、じゃあいってきま~す」
そうしてラファレェラはマリオンと共に調理場を出ていった。
ちょうどラファレェラとエステレラがまだ調理場にいて、マリオンが顔を見せる少し前、畑の真ん中…ではなく、なぜか洗濯場にミカエリの姿があった。
うろうろごそごそばちゃばちゃと、こちらも忙しそうに働いている。
数日前、ここで洗濯していたルビリィに教えてもらって、取れた野菜の汚れをおとしているのだ。
桟橋の横には、石で作られた水の流れる不思議な溝がある。いくつかに仕切られ高さを変えることで水を流しているのだけれど、ルビリィいわく、それぞれを使い分ければとても便利なのだとか。
ミカエリは教えられたとおり、今朝とってきた野菜の土を一番下で洗い落し、その間に一番上でいくつかの野菜をかごに入れたまま冷やしている。寒いリンドグレンでは必要のないことだったが、これから季節がかわり夏がやってきたら、ミカエリはこうして毎日畑と洗濯場を行ったりきたりすることになるのかもしれない。
「今日は天気がいいだなぁ、あっついくらいだべ」
洗濯場はうまく木の陰になっていて、ミカエリの作業はなんなく進んだが、冬場は寒かろうなとルビリィの手を心配したり、この便利な溝はだれが考えたんだろうと、しみじみ外国で生活していることをかみしめたりしていた。
「はぁーきれいになったべ、うんまそうだ」
あまりそのままを食べることはしない野菜だったが、思わずがぶりと行きそうになる。
おっとだめだ、こうしちゃいられない。
ミカエリは洗った野菜を籠にいれて背負い、冷やした野菜の小さな籠を抱え、急ぎ足で洗濯場を後にした。
城に向かうとラファレェラとマリオンが出てきて寮の方へ行くのが見える。彼らと入れ違いに、ミカエリは調理場へと駆け込んだ。
「エステレラっさん、今日の収穫持ってきただよ」
「ありがとうございます、おや、洗ってくださったんですね」
「んだべ~、おらちょっくらこの野菜をルリスくんたちに届けてくるだよ」
「お見舞いですか? それならさっきラファレェラさんたちが向かいましたよ」
「んだ!」
ミカエリはエステレラとの会話もそこそこに、背負った籠だけを下ろし、小さな籠だけを手に、さっき見かけた二人の後を大急ぎで追いかけていった。
めぇええ。
ベッドに転がっていたファルケは、ちらっと片目を開けて、声の主を確認する。ファルケのベッドとルリスが付き添いついでに休んでいるあまったベッドの間で、ジャーはうろうろ歩いては立ち止まり、ときおり元気のない声で鳴く。
そんなジャーの声がすぐそこで聞こえるのにもだいぶ慣れていた。気がつくと手を伸ばしてもこもこの毛を触っていて、はっとする。ルリスが気づいていないうちに手を引っ込めて寝たふりをするのだが、実はルリスは知っていて、ファルケもずいぶん元気になったみたいだと安心していた。
せっかくうまくごまかしたと思ったけれど、ファルケの腹がぐぅとなり、ルリスは今度こそ笑いをこらえきれずに、ベッドにもぐりこみ少しだけ吹き出していた。こちらもまた隠しきれずにファルケはばれていたことを知る。
どうしてこんなときにジャーは鳴かないのだろうか。
「腹減ったな…」
ファルケがつぶやく。ルリスもやっと笑いを吐き出して頭を出した。
「うん、腹減った」
「ずっと寝てるのもだるくなってきた……」
「畑、どうなってるかな……」
そろそろ普段の生活が恋しくなってきた二人がとりとめのない言葉を交わして、しばし黙ってお互い天井をみたままぼんやりと。
次にはもう二人とも同時にひょこりと体を起こしていた。
どこからかいい匂いがする。そしてガチャリと寮のドアを開ける音、廊下を歩いてくる音。
とても、にぎやかな話し声。
ガチャっ。
「ファルケー、ルリスー元気か~」
一番うるさいのはやっぱりマリオンだ。元気じゃないから寝てるんだというほどでもない現状を、正直に言うべきかと、ルリスが苦笑を浮かべる間に、そのわきからひょこひょこと顔をだしたラファレェラとミカエリ。
「お見舞いにお菓子もどうぞです」
いい匂いの正体はラファレェラのお菓子だった。すっかり腹ペコだった二人はいつもより素直な嬉しい顔を見せる。
そしてさらにミカエリが持ってきたのは冷やされた取れたての野菜たち。
「元気になったら一緒に畑仕事してもらうから、はや元気になるといいさ~」
「わ、もうそんなにでかくなっちゃったのか?」
「ミカエリさんのお見舞い、お野菜…生ですかっ?」
ルリスとラファレェラのそれぞれの驚きに、ミカエリはまとめてこっくりうなづいた。
「んだんだ~、元気がないときは野菜をいっぱい食うといいぞ、ほれ、くえくえ~」
生の野菜を手渡されて、二人は戸惑うが、ミカエリはニコニコ満足そうで、彼も自分で持ってきた野菜をもぐもぐ食べ始める。食べながらマリオンにもラファレェラにも手渡した。
「うんまいよ~」
「あ、ありがとうございます…っ」
何度も思うことだが、ミカエリは少し気のぬけるような口調や発言、彼の描く繊細な線で成る絵から抱くイメージとは違って、大振り、おおざっぱ、マリオンにも引けをとらない野生的な行動をとる。田舎モノだからなのか、それともこれが彼の本質であり、実はとても男らしい男なのかは、よくわからない。
体にはよさそうだけど、と受け取ってしまった野菜を眺め、おいしそうにかじるミカエリを眺めるラファレェラ。
「生で食っても味しないんじゃ…」
「そんなことないべさ」
「そんなにうまいのかぁ」
すぐにかじりつけない皆の中で、最初にかじったのはもちろんマリオンで。
食うか食わないか、うまいかうまくないか、それだけのことで五人はしばらくの間わいわいと騒いでいた。
そして当然、彼らの足元ではジャーがうんまそうな顔で野菜をもりもり食べていたのだった。
★
あぁ、ルアも元気になったんだなと皆が一斉に知ることができたのは、あの美しいオルガンの音色が城中に響いたからだった。
神にささげる司祭のオルガンは、青碧湖城の不安を浄化してくれるようにも思えて、皆それぞれの場所でその音色に聞き入った。
その貴賓室では、オルガンを弾くルアの少し後ろにエーファがいて、招かれた高貴な客人のようにエステレラの入れたお茶を前にゆったりと過ごす。こんなところにもやはりルビンはいて、お茶の香りを一緒に楽しんでいた。
エーファがふと扉の方へ視線を向けた。
オルガンの音でかき消されて、足音が聞こえるわけではなかったが、お茶を運ぶエステレラでない気配がしたから、その誰かがドアを開ける前にそちらを向いた。けれど、相手がノックする音もまた聞こえず、入ろうかどうか迷っているらしい。エーファはゆっくり扉の前に行き、彼を招き入れた。
「すみません…お邪魔ならまたのちほど…」
「いいのよ、入って。アルフレートさん」
エーファはルアの代わりにそう言った。二人はルアが曲をひとつ弾き終わるまで、黙って待つことにする。わざわざアルフレートがここまできたのだから、何か話したいことがあるのだとエーファにはしっかり伝わっていたのだ。
やがて心地のよい音色がゆっくりと消えていき、余韻の残る静寂の中、ルアはようやくアルフレートがいることに気づいた。
「あら、ごきげんよう、アルフレートさん。わたくしちっとも気づかなくて」
「ルアさんもこっちに来て、少しお話を」
エーファがそういえば、何か話しておいた方がいいことでもあるのだろうと、ルアは言うとおりにオルガンを離れた。
改めて三人が同じテーブルにつくと、アルフレートは少し緊張したような面持ちで、すぐには言葉がでてこなかった。
「……あの…少し、気になることがあるんです。俺の思い過ごしならいいのですが」
「えぇ、話してみてくださいな。どんなことでもかまいませんわ」
ルアがニコリとすると、アルフレートは多少肩から力を抜いて、おもむろに話はじめた。
「月のはじめにエーファさんたちがおっしゃっていた見えない壁のことです。最初は何か変わったことがあるようにも思えなかったですが、あれから…人が何人も倒れていませんか」
最初にルビリィ、つぎにルリス、そしてファルケ。
何よりもアルフレートは最初に倒れた者として少し不安に思っていた。
ルアは少し考えてから口を開く。
「確かにそのような見方もできますわね…。けれど、ルビリィさんが倒れたのは「彼」との接触が原因、ルリスさんは疲労と風邪……関係がないといえばそのようにも思えますわ」
「えぇ、俺もそうは考えましたが、そもそも「彼」との接触はマリオンが先にしています。少しの間座り込むだけで済んでいたのにルビリィさんは倒れてしまった…」
ルリスはいくら無理をしていたとはいえ、体が弱いようでもないし、不安に思えばそれもキリがなかった。
「…そう、でもきっと、アルフレートさんが心配なのはファルケさんね?」
エーファが言うと、アルフレートは軽くうなづいて、小さく息を吐いた。
「あのときのことをはっきりと説明できるわけではないんです。でも、あれは俺が倒れたときと同じ何かのせいだと思えてならない。ラファレェラさんやマリオンはぼんやりとですが何かを見ていたようですし、俺の時にはそうひどくはならなかったのに…」
「状況が、悪くなっているように感じるのね?」
「えぇ…しかし、たしかにルアさまがおっしゃるように、倒れた原因は皆違う……考えすぎでしょうか」
コンコン。今度ははっきりとノックの音が聞こえ、入ってきたのはエステレラだった。エーファはルビンを引き寄せて、目を伏せた。そしてすぐ、エステレラが近くにやってくる前にまた顔を上げる。
「ルアさん、彼にまだ聞いていないことを、聞いてみたらどうかしら。今更彼に隠しておく必要のあるものは少ないわ。たとえばこっそりお部屋に入ったこと以外、気まずいこともないと思うの」
その言葉が終わるか終わらないか、エステレラは三人のそばにやってきて、ふと自分に視線が集まっているとわかるとお茶の準備の手を少しだけ止めた。
「何か…御用でしょうか?」
「えぇ、少しお話がしたいの。貴方も座ってくださる?」
「…はい…わかりました」
ルアの願いに形式的な否定もせず、少しの沈黙だけで受け入れたエステレラはお茶の準備だけすませて静かにテーブルについた。
今ここで何もかも追求するつもりはなかった。
およそアルフレートが心配していることに関わるいくつかのことだけを、丁寧に説明して、それについて何かしらないかと問う。
まず一つは見えない壁のこと。エステレラはやや眉を寄せて難しい顔をした。
「…消えてしまった…それは確かなんでしょうか?」
「そう思うわ、でも何だかわからないものだから、断言できるわけではないの」
エーファの判断が正しいのかどうか、エステレラにもわからなかった。
ただし、それが何のことを言っているのかだけは心当たりがあった。
それでもなかなか口をひらかずに険しい顔のままのエステレラを見て、話は次に進んだ。
マリオンとルビリィに接触し、ルアに愛を伝えた「彼」のこと。
ガタン、エステレラの椅子が音を立てた。立ち上がるほどでなかったが、そうしかけたのはわかった。相当の動揺が見て取れた。エステレラは「彼」が誰だか、わかったようだ。
「贈り物を…しかしそんな……彼は………彼は…まだここにいるのでしょうか?」
エステレラの声は震えていた、なんらかの感情を隠している、そんな震えだ。だが、今はもうルアのペンダントの中にもいないようだし、あれから姿を見ていないから、わからないのだと伝えると、ほっとしたように、それでいて希望を失ったように、すうと力が抜けてしまう。
エステレラは誰より長くここにいて、記憶もなくしていないのに、あの光だけになってしまった彼に会ったことはなかった。エステレラが知っているのは、ちゃんと形ある誰かのことだ。
あまりの動揺ぶりに、これもまた一度追求するのはやめ、最後の話へと移る。
作られた森に隠された墓のこと。
今度は思うほど驚きはしなかったようで、エステレラはうなづいて話をちゃんと聞いている。けれどやはり、ファルケが倒れた原因を聞くと、顔色が悪くなり、今度は自分から話始めた。
「アルフレートさんがおっしゃるとおり、わけあってあの場所はあとから付け足され、容易に入ることができないようにされているのです」
「一度裏にある小舟を使ってそこに行ったわよね?」
エーファはあの場所を占った時に感じたものを確信として話した。エステレラはうなづく。
「…わたしは…この城の執事として、ルアさまのお世話をすること以外に、仕事があったのです。それは、その隠された墓の墓守でした。けれど、わずかの間その仕事を放棄してしまったうちに、小舟がこわれてしまいました」
「だから…ヴィクトールさんが直したと知って、慌てて様子を見に行った…ということですか」
「そうです、アルフレートさん、私はあの鉄柵を開ける鍵も持っています。けれど、これだけは…どうかお願いです。今後、はっきりと何か…確信の持てる何かがわかるまで、あそこには近づかないでいただきたい」
エステレラはいつになく必死の様子だった。
「貴方の思うように、私も今のお話を聞いて、強い不安にかられています。見えない壁はあの墓があるために存在したと申し上げておきましょう。ですが、私はおそらく、城の一部を知っていて、大部分を知らないのでしょう。調べてわかることならば私も知りたい。これから私も、私なりの方法で調べてみることにします。ですからそれまでは、どうかくれぐれも危険のないように…」
アルフレートがしっかりとうなづくと、エステレラは次にルアに顔を向ける。
五つ数える間二人は黙って見詰め合っていたが、エステレラは視線をそらさずに話した。
「彼がルアさまを愛していたのは本当です。夢に出てきたのはきっと彼でしょう。お互いに、会いたいと思っていたのでしょうね」
「エステレラ…でも、わたくし、今は…」
まっすぐな目に、姿のわからぬ誰かのことばかり気にかけているのが恥ずかしく思えて、ルアは思わず本当の気持ちを言おうとしていた。それをエステレラの強くもやさしげな言葉がさえぎった。
「どうか。…どうか、その贈り物は大切になさってください。大切なものです…この先もずっと」
「…この…先も…」
やはり、エステレラは、ルアの本当の気持ちを知っていて、拒むのだろうか。
おそらくもう会えないだろう男からの愛の証を、この先も大切にしろと、それは、どういう意味だったのか。
エステレラは一度エーファと視線を合わせ、今言うべき全てを話したとばかりに、席を立ち、貴賓室を出て行った。
再び落ち込んだようなルアの横顔に、エーファはこういった。
「大切にしろと言った、彼を信じてみたらどうかしら」
ルビンの鉢を指でなでて、小さな赤い花を見つめて、エーファは言う。
「私には、信じてくれと言ってるように、見えたわ」
エーファが何を感じてそう言ったかはわからないが、アルフレートも彼女に意見に賛成だった。自分のように不安がるばかりで悪い方向へ考えるのは辛い日々となる。今は彼を愛していると思うなら、ひたすらに盲目に信じてみるのもいいんじゃないかと。
★
その日の半分はいつになく日常で、残りの半分は謎探しを始めてから最初で最大の変化が訪れることになった。
「よろしくお願いします」
ぺこりとお辞儀をしたルビリィの前には、ヴィクトールがいて、彼を相手に護身術の訓練をまさに始めようとするところだった。
ルビリィが真剣な様子だから、ヴィクトールも言葉少なに淡々と稽古相手をつとめていた。
こういうときに優しくないのも優しさだと感じるのもありだが、彼には戦闘スイッチがあって、ねっからの武人であるという方が正しいとも思えた。
何度も言うがルビリィはとても真面目で真剣にがんばっていた。
表情もきりっと引き締めていたが、同時に体中引き締めていた。
「えいっ」
声を上げると勢いがついてうまくいくとフロルが言っていたからそうしてみた。
ルリスに教わった技の一つ一つを細かに思い返していた。
しかし、一向にヴィクトールは飛んでいかない。
やはり体が大きいから、難しいのだろうか?
「やっぱり難しいですね。でも頑張ります!」
「ルビリィ、ちょいまち」
「はいっ?!」
ヴィクトールがようやく口を割ったので、ルビリィはつい大きな声で返事をしてしまった。
すると、ヴィクトールはすたすた近くにやってきて、がっつりとルビリィの頭を両手で挟んだ。
「あ、あの…なんでしょうか……わ、わわ~」
ヴィクトールはそのままルビリィの頭をぐるぐる回し、目がまわるほど続けてぽいっと放した。
「ヴィ、ヴィクトールさん…」
「お前、頭脳派やから、考えすぎなんやろな~」
目が回って座り込んだルビリィの横に腰を下ろして、話し始めたヴィクトールはもういつもどおりの顔だった。
「体もなんか変な力入ってるし」
「そうですかね…でも教えてもらったようにやらないとヴィクトールさんを投げられる気がしませんよ」
「投げてやろうと思うからあかんのちゃうか? 俺もよくわからんけどやな」
釣りと同じで、ぼーっと力抜いて待って、襲ってくる敵を避けるついでに投げるくらいでいいんじゃないか。
ずいぶんといいかげんなことを言い、ヴィクトールはしばらく休憩だと決めると、ころりと寝転がってしまった。
真剣にやりすぎて変な力が入っていたのは確かなようで、そうして休憩してみると、思いのほか疲れていた。
木陰で休みながら、ルビリィは湖を眺める。
簡単にうまくいくわけないとわかっているから、真剣に頑張る。今じゃなくていい、いざという時に少しでも足を引っ張る可能性が減るように。目が回ったのもすっかり直ると、いつの間にか体から力も抜けていた。
ヴィクトールが本当にスースー寝ているんじゃないかと、ルビリィが振り向くと、彼はもう起き上がって、どこか別の方向を見ていた。
「休憩終わりです、もう一度お願いします、ヴィクトールさん」
「あぁ…」
「何かありました?」
「うん…森が、騒がしいような…」
「動物でもいるんでしょうか」
「いやまぁ、えぇわ。ほな続きやろか~」
ヴィクトールの耳に聞こえた何かは、動物の足音ではなく、人間の話し声。だいぶ遠くだったから、そう聞こえたようで実は動物ということもよくあるし、さほど気にもかけず、二人はまた稽古を再会した。
城の裏での稽古が終盤に近づく頃、レオニズとフロルは城の周り敷地の中も外もぐるぐると巡回していた。こちらもまた真剣で、真面目に毎日同じことをやっている。与えられた仕事はきちんとやる。エステレラにもしっかり働くと約束したのだ。
それに少し前になるが、ヴィクトールが城を覗いていた者がいたと話していたのが気になっていた。
興味本位で覗いているなら今度は逃げる前にきっちり話をつけておかねばならない。
何か用があるなら、潔く入って来いと言ってやらねばならない。
レオニズの強い使命感は一緒に働くフロルにも伝わっていて、彼女もまたいつもよりさらに真面目に警備に取り組んでいた。
そして、彼らはとうとう、城にやってきた大きな波と遭遇することになるのである。
庭園を横切って最後に門のあたりを確認し、一度休憩する。それが日課であったのだが、隠れるどころか堂々と門に近づく気配があって、二人は足を止めた。
気配は一人や二人のものではない、十数人の集団だ。
跳ね橋を渡る足音を確認し、二人は視線を合わせてうなづいた。
大急ぎで二人が門にたどり着いたときには、もう相手もすぐそこまでやってきていた。
「おっおい、誰かでてきたぞ」
「なんだぁありゃ、女と子供じゃないか?」
「まてよ、女は黒肌だぞ、あいつが言ってたのは男じゃなかったのか?」
――と言ったかどうかはレオニズには聞き取れなかった。彼らは地元の言葉で喋っている。フロルだけはわかっているようで、少し不機嫌になったのがわかった。
集団はそうしてセダプラヤ語で思い思いに何かざわめいていて、門の前に立ちはだかった二人の前にぞろぞろとやってきた。
よくよくみれば、村の若い衆が集まっただけのような貧相な集団で、武器代わりの道具は皆持っているようだが、狩猟用のものだったり、農業用のものだったりで、まるで迫力がない。本物の剣士であるフロルが、剣を一振りしたら全滅してしまいそうだ。
「こほん…」
ざわざわとする集団に向かって、レオニズは一度咳払いをした。はっとした彼らは急に黙ったかとおもえば、おそらくリーダーであろう男を皆で押し出し、彼はまったく頼りない様子で、フロルの視線をさけつつレオニズに向かって言った。
「お、おまえ、子供! そこで何してるっ」
どうやら、共通語を話せるからリーダーにされてしまっただけらしい。
「わしはレオニズ、子供ではないのじゃ。そちらこそそんな物騒な様子で何をしにきたのか教えてもらいたいのう」
「城に怪しい黒肌の男がいたってんで、様子を……見にきたんだっ」
「様子をみるのに武装するんかのう。まぁよい、落ち着いて話そうじゃないか」
「おまっ、お前は、おれにず、レオニズか。お前はそこで何してる」
「ふむ…まぁ一言でいうと住んでるかのう」
「な、こここここがどういう場所だか知ってて居座ってんのか? 黒肌の集団でもかくまってんのか?」
「ちょっと…」
フロルがむっとして一歩出ると、男は飛び上がって、集団ごと後ずさりしてしまったが、レオニズはフロルを制止し、会話を続けようと試みた。
「大丈夫じゃ、いきなり襲ったりはせんし、怪しいものではないのじゃ。ここがどういう場所だかって、おぬしらは知っておるんかのう?」
ざわざわ。
男が振り返って仲間たちに何か相談し、しばらく話し合ったあと再びレオニズに向かった。完全にフロルは見ないようにしている。
「ここはっこんあたりの領主さまの城だっ」
およそ町で聞いたふわふわしたうわさとずれてもいない答えだった。
「おぬしら、それを知っててわしらに武器を向けてるのか。わしらが領主さまの家来だとは思わんのかのう」
「ばっかいえ、そんなわけあるかい、領主は一年前にいなくなったんだ。貴族、制度がなくなって、そんで……いやその前の戦争だかからもういないんだっ」
どうも、彼らの話はウソではなさそうだが、実際ここにいたルアのことは知らないとわかる。こちらもそうだが相手も、お互いに怪しんでいて警戒は解けそうにない。
いつまでもこうしてにらみ合っている場合でもないのだが、どうしたものか。
言葉を切って考えたが、レオニズは視線を男から離しはしなかった。
「あぁ、やめろやめろ、ばかばかしい。ちょっとどいてくれ、わしが話す」
突然よく通る声が集団の後ろから聞こえてきて、彼らをかき分けてレオニズの前にやってきたのは、ずいぶん小汚くくたびれた感じの老人だった。
道をあけた集団はやがて彼が誰だかわかったという顔になって、おとなしく交渉権を老人に明け渡した。
「小僧、かまわんから執事を呼んで来い」
「む? やぶからぼうにどういうことじゃ」
「どういうことだか話してもいいが、お前は城の全部をわかってわしの話を聞ける自信はあるんだろうな?」
「…ぬ、ぬぅ…しかし、わしの仕事は警備なのじゃ、怪しい武装集団を放ってはおけん」
「怪しい爺さん、だろうが? どうみたって他の連中より怪しいのがいるからだろう」
いちいちするどい老人は、すいとしわくちゃの手の甲を差し出した。
「この指輪が何かわかるか? 魔法を使うための石だ。どういう意味かくらいはわかるんだろうが、小僧よ」
「魔法使い…?」
「そうだ、この指輪がなければ魔法はつかえん」
老人はいいながら指輪をはずし、フロルに差し出した。
「お前が執事をつれてくるまでこれはこの娘にあずけよう。剣を持ったこの娘と、指輪のないじじいとへたれの集団だ。どうだ、素直に呼んでくる気になったか?」
「……わ、わかったのじゃ、その…執事どのにはなんと言えばよいのかのう」
「ふん…特別なことなど言わなくてもわかるだろうよ、魔法使いのじじいが来たと言え」
レオニズはフロルの顔を見る。
彼女は指輪を手に乗せて、それ自体が何かしやしないかとまじまじ見つめていた。
そして、大丈夫だとわかったのか、いいわとうなづいて、指輪を持たない方の手を剣の柄に添えた。
「さぁいけ、小僧。日が暮れるぞ」
怪しい魔法使いの言うことはなんだか悔しいけれど正しいようで、レオニズは急いで城の中に駆け込んでいった。
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