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リアナ 最終話 誓い

 白い天井が見えた。
 ここはクレヴィングの城。
 そうだ…アロイス様を迎えにいかねば。
「気分はどうですか、リアナ様」
 ベッドの側にいたのはラインハルトだった。
「…えぇ、少し体が重く感じるだけですわ」
「そうですか」
「…ねぇ、ラインハルト様、アロイス様は…?」
 いつだったか二人で同じようなやりとりをした。
 あの時、同じことをたずねたのはラインハルトの方だったけれど。
 それをわかっていて、ラインハルトは目を伏せた。
「……リアナ様…」
「イヤです。そんな目で見ないでください」
 目が覚めても、夢ではなかったと思い知らされる。
 そんなこと、本当は分かっていたのに。
 ベッドに伏して泣き続けるリアナの側に、ラインハルトは黙って座っていた。
 やがて少し落ち着きを見せたころ、ラインハルトは言った。
「…彼に…会いたいですか」
「生きてらっしゃるの…?!」
 起き上がる彼女にラインハルトは首を振る。
「いいえ、そうではありませんよ」
「…では…どういう意味ですか」
「少しの間なら彼と話をすることができるかもしれません」
「…え…」
「考える時間もそうないと思います。そして、今彼と話すことが貴女のためになるのかも、私にはわからない。いくら言葉を交わしても、彼はもう戻ることはありませんし、私が話をさせてあげられるのは…一度きりです」
「……」
「時間も長くはとれないでしょう。別れの言葉を交わすほどしかないかもしれない。それでも…貴女がそうしたいと言うなら…私は…」
 黙って聞いていたリアナは問うた。
「どうやってアロイス様と…?」
「私の体を少しの間彼に貸します。魂が入れ替わるというのか…これは秘術ですので、他言は控えていただきたいのですが…。しかし、彼がこの体に入っていられるのは私の魂が外に出ていられる時間だけ。半時ほどでしょうか…」
「…アロイス様の魂が側に?」
 リアナは急いで部屋中を見回したが、何も感じなかった。
「……えぇ…貴女がここに運ばれて、その後私がこの部屋に入ったときには、もう彼は貴女の側にいた。ずっとそこで貴女を心配そうに見ていますよ」
「…見えるんですか、ラインハルト様には」
「えぇ、これでも司祭の端くれですので」
「……傍に…」
 彼がそう言うのなら、確かに傍にいるのだろう。
 けれど、それを欠片も感じられないことが辛かった。
「幻影の術を使えば、姿も彼と同じに出来ます。ただ、覚えておいていただきたい。あくまで体は私のもの。いくらひきとめても時間は延ばすことなどできません」
「…ラインハルト様。わたくしはそれでも、お会いしとうございます」
「……余計に辛い思いをするかもしれませんよ」
「えぇ、でも…わたくしは…まだ彼に伝えてないことがあるのです。今わたくしがつぶやけば彼に届くのかもしれません。でも…ちゃんと、目を見て、言いたいのです」
「わかりました。では…人払いをしてまいります」

 準備をすませ、ラインハルトはまたリアナの側に腰掛けた。
「では…はじめます。言いたいことを先に言ってくださいね。時間があるうちに」
「はい」
 ラインハルトの体が、光に包まれ、白かった姿が黒くかわる。
 光の中から現れたのは紛れも無いアロイスの姿だった。
 彼はゆっくりと目を開く。
「…アロイス様?」
「リアナ…」
 あんなに枯れるほど流したはずの涙があふれる。
 ようやく会えた。愛しい人。
「悪かった…ホントに…」
「酷い…酷いですわ。一度も会わずに…わたくしを置いて」
「…うん、ごめん」
 アロイスは申し訳なさそうな顔をしたが、言い訳はしなかった。
「わたくし、お伝えしたいことがあるのです。ずっと、言おうと思っていた言葉…」
「…ん?」
「……アロイス様。わたくしは…貴方を…愛しています」
 涙を流し続けるリアナをアロイスはぎゅっと抱きしめる。
 ただぎゅっと、何も言わずに。
 胸が熱くなり、アロイスの腕の中でリアナは声を上げて泣いた。
 彼女が唯一望んだもの。
 もうそれは手の中にあると思っていたもの。
 こんなに傍にいるのに、指の間からするするとこぼれおちて行く。
「……わたくしを連れて行ってくださいまし…もう生きていてもしかたないのです」
「ダメだ、それはできない…」
 アロイスの声は生きている時よりずっと落ち着いて穏やかに聞こえた。
 それはいやおうなく彼を遠い存在だと思わせる。
「じゃあいっそ、自分で死んでお側にまいります」
 もう二度と置いて行かないでくれとリアナはすがった。
 アロイスはやはり静かに答えた。
「…わかってくれ…あんたが死んだら…またあのバカ兄貴がへこむだろう」
「……ラインハルト様が…?」
 見上げた先にあるアロイスの顔は、この世を惜しんでいるようではなかった。話す声と同じように穏やかで、どこか満足そうにも見えた。
「あの人はもう、側にいる誰が死んでもへこむんだ。だから…頼むよ、生きてくれ。俺の分も」
「…そんな、ずるいですわ…そんな…」
「……守りたかったんだ。ここで…俺を待ってるだろうあんたのことを…」
 どこに行っても、あんたを守るよ。
 アロイスは約束を忘れたわけではなかった。
「…最後の最後まで…あきらめるつもりなんかなくて…ずっと、ずっと、炎の中であんたのこと考えてたよ」
「…アロイス様…」
「リアナ、これを…」
 アロイスは手に握った何かをリアナの方へ差し出した。
「結婚の誓のときに渡そうと思ってたんだ」
 少しすすに汚れた二つの指輪。
 アロイスは片方をリアナの手に乗せた。
「オレの分は、持って行くからさ。それ、あんたに持ってて欲しいんだ」
「…はい…大事にします」
 リアナが頷くと、アロイスは口元だけにうっすら微笑みを浮かべた。
「でも、それはオレとの思い出の品ってことにしてくれないかな」
「どういう意味ですの」
「生きてるあんたと俺は結婚の誓なんてできないから…」
「イヤです。貴方以外の方と結婚なんてしませんわ」
 手放すものかと指輪を握りしめたリアナの頭をアロイスが撫でた。
「リアナ。ちゃんと生きろ」
「……」
「俺、わかったんだ。死んだ人を思ってその人のために生きても、結局、何も残らなかった。辛い気持ちだけ残して、とうとう自分の体まで壊してしまった」
「そんな…そんな…」
「たぶん、この後、あんたと兄貴を結婚させようとするやつがきっと現れる。だからあんたはそれに従うんだ」
「ラインハルト様と…結婚…」
「あぁ、兄貴もあんたと同じだから。あんたの気持ちを俺よりずっとわかってる。あんたがイヤなら触れようともしないだろうな。でも、きっと大事にしてくれる。兄貴になら、あんたを任せられるんだ」
「……でも」
「いつかまた…違う世界で会えるかもしれない。だからそのときまで、ちゃんと生きてほしいんだ、あんたにも兄貴にも」
 少しだけアロイスの声が遠くなった気がした。
「…そうしてくれるって信じてる。俺が…守りたかった二人は…そんなに弱くないって信じてるからな」
「アロイス様…?」
「そろそろ行かないとな…天国行きの馬車乗り遅れるし」
 アロイスは今度ははっきりと微笑んで、リアナの頭をもう一度撫でた。
「…待って」
「リアナ、愛してるよ」
「アロイス様」
 リアナの呼び声に応えるように、アロイスは彼女を抱きしめて口付けをする。
 このまま抱きしめていたら、逃げないでいてくれるだろうか。
 リアナはすがるようにアロイスの肩に手をかけた。
 そっと離れた唇がささやく。
「ありがとな」
 それが最後の言葉だった。

 しがみついた体がまた光につつまれ、アロイスの体はあっという間に、元の姿に戻った。
 間近に見たラインハルトの顔。彼が目を開け、リアナは慌てて離れた。その様子を見てラインハルトも思わず目を伏せる。
「…すみません…私にはこれ以上無理でした」
「いいえ、ありがとうございました。感謝しています」
 先ほどよりも、リアナの声が落ち着きを取り戻しているのは気のせいだろうか。少しは役に立てたのだろうか。
「言いたいことは言えましたか?」
「はい…でも、たぶん、そんなのは言っても言っても足りないんですわ」
「そう、でしょうね」
 嫌というほど理解できる。できるものなら何度でも彼に会わせてやりたいし、ラインハルトにも会いたい人がいる。できるものならば。
 少しの沈黙を経て、リアナはさっき近づきすぎていたラインハルトの顔を見た。きっと彼は母に似ているのだろう、アロイスに似たところはあまりない。
「…ごめんなさい…体はラインハルト様の物だったのに…」
「いいえ…彼に貸している間は、確かに彼のものだった。それでいいじゃないですか」
「…はい」
 少し話しては黙った。
 まるで世界にたった二人残されたような気分になる。
 二人を繋いでいた大きな橋が、ゆらゆらと不安定なつり橋に変わった気がする。
 リアナはずっと手を握ったままだった。手放すまいとしがみつく気持ちが、そうさせていた。
 けれど、何かに気づいて手を開く。
「…ラインハルト様」
「はい」
 呼ばれるまで、彼も居所のわからなくなった意識を持て余していた。リアナの差し出す手を覗き、ラインハルトは目を見開いた。
「アロイス様が…これをわたくしに…」
 戦のことばかりで頭がいっぱいだった弟に、指輪くらい自分で用意してあげなさいと言ったのを思い出す。
「幻なのかと思っていましたけど…これは確かにここにありますの」
「……不思議ですね」
「…えぇ」
 指輪に見入るリアナを見つめ、ラインハルトは切り出した。
「リアナ様、さっき抜け出ている間に話を聞きました。もうすでに貴方を私の妻にしようと言い出したものがいます」
「…はい」
 リアナは取り乱すこともなく、聞いていた。
 屋敷を出る前の彼女に戻ってしまったのだろうか。
「聞きたくなければ、しばらくここでふせっていていただければ、私がなんとかします」
「……いいえ」
「でも…貴女はまだ…」
 いや、違った。
 リアナはその残された指輪に、何かを見出していた。
「アロイス様と約束しました。わたくしは彼の分まで精一杯生きるのです。わたくしが今できることは…ラインハルト様と結婚して、少しでも早く大陸に平和を取り戻すことですわ」
「……リアナ様」
「ラインハルト様がお嫌でなければ…わたくしはそのお話謹んでお受けいたします」
 彼女にはわかるのだろうか。
 司祭にしか見えないはずの、指輪に宿った暖かな炎の守りが。
「…そう、ですか…本当に、それでいいんですね?」
「はい…ですが…わたくしはきっと生涯アロイス様だけを愛し続けると思います。ラインハルト様をお慕いする気持ちが生まれたとしても、同時に彼を思う気持ちも決して消えません」
「それは私も同じですよ…」
 ラインハルトは光り続けるジンシルの守りを懐から出した。
 落ち着いたら彼女のことをリアナにも話そうと思う。
 二人は今、同じ大地に立とうとしていた。
「リアナ様、その指輪を少しの間貸していただけませんか?」
「え?」
「大事なものだということは分かっています。けれど、できればそれをずっと身につけていたいでしょう。誰から見ても、それが当然であると思わせるために、少しの間預けていただきたいのです。大丈夫、必ず、貴女のその指にお返ししますよ」
「……はい、ラインハルト様を信じておりますわ」
 ラインハルトはリアナの手から、アロイスの守りを受け取った。

 戦の傷跡がいくらか癒えた頃、二人はブランの大教会でささやかな結婚式をした。
 たった数人、彼らの友人が付き添っただけの小さな結婚式だった。
 そして、そこにいた者たちだけが知っているのだ。
 王妃リアナが生涯死ぬまで外さなかった誓いの指輪に、黒く焼け焦げた跡があったことを。

     ★

 思えば、私の人生は後悔ばかりだった気がします。
 私がアロイスにリアナを手放さぬように言ったのも、戻らない彼とリアナに話をさせたのも、私のように後悔してほしくなかったからです。
 この世の全てのことに意味があるならば、私が司祭になったのはこのためだったのかもしれません。

 ジンシル。
 いつか貴女にもう一度出会えると信じています。
 そうしたら、今度こそはっきり愛していると伝えたい。
 幼いアロイスがいなくなった後、私は城に貴女の姿を探しました。
 リアナを心配して戻ったアロイスのように、貴女が会いに来てくれるんじゃないかと馬鹿な希望を抱いて。
 貴女はどこにもいなかった。
 その時、私は全てを後悔したのです。
 でも、貴女は…知っていたのですね。
 そして、私がそれに気づくと信じてくれていた。
 私が旅立ったあの日に、私たちの想いはつながったのだと。
 愚かな私をきっと貴女は笑って許してくれるのでしょう。

 愛しいジンシル。
 貴女に約束します。
 私は生きる。
 アロイスの守ってくれたこの命が果てるまで、リアナと共に。
 彼女となら、生きていける。
 まっ白な彼女に私はたくさんのことを教えられた。
 こうして、また貴女に会えると信じることができたのも、リアナがそう信じているからです。
 彼らも、もう一度出会えるでしょう、必ず。

 神よ。
 今心から感謝いたします。
 ジンシルに、アロイスに、そしてリアナに出会えたことを。
 私に与えられた全てに、感謝いたします。

End.

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