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ハインケスの恋 最終話 時代継ぎゆく

 戦から三年、ブラン聖暦304年はハインケスにとって一つの区切りの年となる。
 ようやくラインハルトの気にかけていた大方のことが片付いて、とうとう次の春に彼とリアナ王女は結婚することになったのだ。
 当然それは城下で暮らす友人のもとにも聞こえていた。
 カールはその知らせを耳にした日、家に戻ってすぐスザンナに話した。スザンナは自分の時より大喜びして、夫の首に飛びついた。こんなにはしゃぐところはめったに見られないことだから、カールはそのまま妻を抱き上げると、椅子に腰掛けてから膝の上に下ろした。
「…リアナ様の結婚式に出るのは私の夢の一つだわ」
 一度はもう無理かもしれないと思った瞬間があったから。
 リアナの幸せはやはりスザンナの幸せだった。
「しかしまぁ…ずいぶん時間をかけたな」
 カールはぼやいたが、スザンナは首を振って、夫の胸に寄り添った。
「いいえ…まだ、たった三年…全てが変わってしまうには早すぎるわ」
「そう言ってる自分が一番変わってしまったと思わないのか?」
「…いやだわ、またそんなことを言って!」
 スザンナが変わったのはカールのせいだから、そんな風にからかわれるのは心外だ。初めて姿を見たときは、なんてとっつきにくそうな男だと思ったのに、こんなに平然と大胆に愛を語るとは。
 いや、彼もあの戦を境に変わったのかもしれない。
 スザンナは今まで一度も聞かなかったことをたずねた。
「ねぇ、貴方はラインハルト様のために結婚しようと思ったの?」
「ん? どういうことだ?」
「……お側を離れる口実に」
 カールはいつものように少し黙ってスザンナを見つめて、首を振って笑った。
「そんなことはないよ。確かに側を離れることを考えてはいたけど……そんな時に街で迷子になってるお前を見つけたから…」
 結婚してもうだいぶ経つのに、二人はいつも仲良しでカールは妻を膝に抱いたまま話した。
「眩しい光が俺を決意させたんだ」
「そういう言い方はやめて、カール!」
 スザンナは今でも慣れずに頬を染める。
「…ずっと、陛下の側にお仕えして、この目にしてきた多くの愛を、今なら全部理解できると思うんだ」
 カールの視線は部屋の隅のベッドですやすや眠る幼い娘に止まり、その手はスザンナの腹に滑らせた。そこには次の子が眠っている。
「そして何より、この手に届くだけの愛を守れる男になりたかっただけだ」
 陛下のためではないのだ。
 ただ「やりたいこと」を見つけただけのことだ。
 そんな風に言いながら、ラインハルトの結婚に心底ホッとしていたのに違いない。カールは一度、彼の命をあきらめたのだから。スザンナはいつも自分を包み込んでくれるカールの広い背を、まるで子供をあやすように優しく撫でた。

 そして春。
 ブランの大教会でラインハルトとリアナのささやかな結婚式が行われた。
 できるかぎりの資金を大陸の援助に使いたいという二人の願いから、国を挙げての祭りは行われず、結婚式にもごく近しい者だけが参列した。
 誓いの祈りはもちろんマウリシオ司教が引き受け、交わされた指輪の片方は焦げあとのあるくすんだ色をしていた。指輪にかかる炎の守りは司祭にしか見えないものではあったが、その場に居た誰もが彼が遺した物だと知っていた。
 そして、二人は祝福され、やっと夫婦になったのである。
「ラインハルト陛下、おめでとうございます」
「ありがとうございます、マウリシオ様」
 儀式の後、マウリシオに声をかけられ、ラインハルトはいつものように深く頭を下げた。彼の側には魔術師の妻バルバラが控え、年老いた夫を支えている。いつか我らも二人のように、とラインハルトとリアナは顔を見合わせた。
「ラインハルト陛下、貴方に紹介したい者がいるのです」
 そういってマウリシオに呼ばれたのは法衣を着た一人の若者だった。彼はマウリシオとラインハルトに同様の礼をつくした。
「彼はリオネロといいます。そう遠くない先に彼にこの大教会を任せるつもりでいるのです」
 少し驚きはしたものの、マウリシオが高齢であることはわかっていたし、改めてラインハルトが目をやると、リオネロは少しおろおろと不安そうにまた深く頭を下げた。
「彼はとても優秀なんですが、少し気が弱いところがある。まだ経験が足りないというところもありましょう。ロドリーゴ陛下ももちろんですが、ラインハルト陛下には先輩司祭としても指導してやってほしいのですよ」
「いいえ、そんな…私は司祭であって、そうではないような存在で…」
 しかしラインハルトの言葉をさえぎりマウリシオは言った。
「もし貴方が国王という立場でなければ、私は迷うことなく貴方を後継者に選んだことでしょう。一度くらい私の褒め言葉にありがとうと言ってくれませんか」
「……ありがとうございます、先生」
「私はもう七十になります。先も長くない。先の戦の頃にはもう彼を後継者にと決めていたのですが、貴方がここで誓いをしたいと言うのを聞いて、せめて最後にその仕事を自分の手でと…今日まで伸ばしてきたのです。これでもう…思い残すことはない」
「先生…」
「しかし…そうですね…引退しても、せめて貴方の子を見るまでは生きていたいですねぇ」
 マウリシオはそう言って笑った。リアナが微笑みながらも少しだけ視線を泳がせた先に、さっきまで参列席にいたはずの顔が映り、さりげなく声をかけて話をそらせた。
「カルロッタ、どうしたの? そんなに硬い顔で…」
 ラインハルトもそちらに目をやったが、カルロッタはいつでも硬い顔のような気がしていて、違いはあまりわからなかった。かわりに彼女の隣にいるクリストフの顔がいつもより硬いと思う。
 カルロッタとクリストフは何か無言で視線を交わし、どちらともなく主の前に進み出た。
「何から…申し上げてよいのか、わかりませんが…」
 クリストフは目の前にいる、ラインハルトとリアナとマウリシオの誰に言葉を向けていいのか迷っていた。するとずっと後ろの方から、ライナーのクスクス笑いが聞こえて、意を決した。
「陛下…私とカルロッタの結婚をお許し願えませんでしょうか」
「…まさか、貴方もですか?」
 ラインハルトの呟きの後、リアナは隠し事はこれで最後でしょうねと声を上げ、カール夫妻の苦笑を誘った。主たちはまたもやその日のその瞬間まで二人の仲を聞かされていなかったのだ。
 だが今回は、本当の意味で二人は隠し通していた。雪の日の約束から、今日まで一度だって恋人同士であったことなどない。真面目な二人らしかった。
 そして、まさか二人もそこまで考えてはいなかったのだが、マウリシオの勧めで誓いの祈りを授かることになったのだ。それを引き受けたのは新しい教会の主となるリオネロ司祭である。
 誓いの最中、カルロッタは夫の隣では慎ましやかだったスザンナと違い、堂々とそこにいた。クリストフが怖気づきそうになったらその背を叩いてやろうというような顔だった。
「カルロッタ…」
 祈りが終わるとすぐ後ろから声がした。振り返ればまぶたを閉じたままのブラン国王が立っていた。カルロッタはすぐに膝をつく。それを見ているかのように、ロドリーゴは手を差し出した。
「さぁ…お前も自由になるがいい」
 騎士の剣を受け取るための手だった。
 彼にとっても、スザンナやカルロッタの幸せは大切なことだったから、これで全ての娘を嫁に出せるような気分だったのだ。
 剣を返し、騎士ではなくなったカルロッタの姿を見て、誰もが言った。
 腰に剣を携えていないカルロッタはなんだかおかしいと。
「…もちろん、このままでいるつもりはないさ」
 彼女は笑みを浮かべ、誓ったばかりの夫と目を合わせ、ラインハルトに向かった。
「どうか、私を王妃の護衛兵として雇ってはいただけませんか」
 やっぱり剣がないといけないのだ。皆が笑い、ラインハルトもリアナも笑った。
「それは願ってもないですね、称号は騎士でいかがでしょう?」
「喜んで。この命、国王陛下に捧げます」
 こんな堂々とした主替えがあったものか、いつも真顔のカルロッタがこの日は大いに皆を笑わせた。

 式の後、クレヴィングとブランの両国王夫妻とマウリシオ司教が特別な部屋へ入っている間に、残りの参列者が集まって食事をすることにした。
 密偵仲間と元騎士だけの賑やかな席で、まだ二歳のエルナがカールに抱かれて泣いていた。もう母スザンナのお腹が大きくなってきたから、娘を抱いているのが辛いのだけれど、エルナには通じない。父の腕では満足できんと泣いているのだ。
「あぁ…かわいいなぁ、俺も女の子がいいなぁ」
 大声で泣いているというのに、隣にいたライナーはエルナをかわいがった。式には来なかったが、彼の妻ももうすぐ産まれる子を抱えている。そして、スザンナの腹と比べてどっちが先かなんて言いはじめた。カールは酔っ払ったライナーの額を小突いて、ようやく静かになったエルナを撫でる。
 二人のやり取りを見ていて、皆それぞれに笑っていたが、ふとライナーの目に留まったのはフリッツだった。
「そういえばもう残っているのはお前だけだぜ」
「……え…」
「もう早くない歳なのに、噂の一つも聞かねぇな、お前は」
 フリッツは急に黙って、自分が皆に注目されているのに気づくと、思わず両親の顔を見てしまった。二人は笑っていたが、フリッツを見ていなかった。ホッとしたような、寂しいような。
「まぁ~、前から奥手そうな顔してるとは思ってたけ…痛!」
「酔っ払いすぎだ、馬鹿者」
 隣の席からカールのゲンコツが降ってきたおかげで、フリッツは今度こそホッとした。三十前になって元上司にげんこつをもらうライナーもライナーだが、フリッツも確かに心に大きな秘密の塊を抱えていた。
 さっきクリストフたちが気持ちを明かした時、ラインハルトとリアナの反応に苦笑していたのはカールたちだけではなかった。しかも、フリッツの場合、隠そうと思って隠しているわけでもなかったから、言おうとして言えないことが余計に後ろめたさを感じさせていた。
 いつか、必ず、話せる日が来る。
 自分の勇気を信じるしかなかった。

 その頃、主たちも穏やかな食事の時を過ごし、別れを惜しんでいた。
 ロドリーゴの前にラインハルトとリアナがいたが、彼の目はずっと閉じたままだ。隣で手を添えるベネデッタがいなければ、まっすぐ歩けない。しかし、彼は若い頃と同じように元気な男だった。
「リアナよ、私はもうお前の幸せを疑いはしない」
 なぜか彼は簡単に娘の手を取った。
「不思議だな。何も見えないはずなのに、お前とラインハルトが強い光で守られていると感じるのだ。そして、この手に暖かい炎を感じる…」
「光と炎…?」
 リアナは不思議そうだったが、ラインハルトやマウリシオにはその正体がわかっていた。視力を失ったロドリーゴに司祭と同じ目が宿ろうとは。
 彼は握った手を隣の妻に握らせて言った。
「ベネデッタ、私の代わりに娘の花嫁姿をよく見ておいてくれ」
 リアナは母と顔を合わせ、前に会った時彼女がいかに弱っていたかと思い知った。頬には赤みが差し、前よりずっと若く見える。
 ベネデッタはリアナをあの日と同じように抱きしめた。
「私がこうして元気に外を歩けるようになったのも…陛下が生きて戻ってくださったのも…全て…貴女の二人の夫のおかげです」
 リアナは指にはめた誓いの指輪に触れ、ベネデッタもそれを見つめた。
「大切にするんですよ? もちろん二人ともです」
「はい」
 両親に別れを告げ、リアナは王妃としてハインケスに戻った。クレヴィングの民はそれを歓迎し、改めて再出発を誓ったのである。

 同年にはライナーの妻が男の子を産んだが、彼女の希望によりやはり普通の生活を選び、城に顔を出すことはなかった。ライナーはそのまま仕事を続け、今までと変わらぬ日々を送る。
 少し遅れてスザンナもまた男の子を産み、コンラートと名づけられた。

 年が開けてもハインケスの平和は続き、やがて国王夫妻の間に青い髪の王太子マテューが生まれ、カルロッタも娘フリーダをもうけた。さらにカールに三人目の息子パウルが出来ると、城もだいぶ賑やかになってくる。
 ライナーは二人目も男の子だったことで、もう女の子はあきらめたらしい。
 マウリシオ司教は望みどおり、ラインハルトの子を見るまで元気に過ごし、その年のうちに正式にリオネロへの継承を済ませ、引退した。
 そうして、全てが順調に過ぎていく。

     ★

 聖暦306年。南方でサルガド王国再建の声が聞こえだした頃。
 唯一独身だった密偵フリッツが、とうとう皆を驚かすことになる。
 おそらくそれはグレーテがスザンナに愚痴をこぼしていたあの頃から、ずっと隠し続けていたことだったのだろう。あれからもフリッツの夜遊びらしき行動は止まず、それでも仕事は真面目にやっていると聞けばもう両親に言うべき言葉は見つからなかった。
 ディーターもグレーテも密偵を引退してからは使用人として働いていて、今までどおり家族三人で城内で暮らしていた。
 どうせ今日もフリッツは帰りが遅いんだろうと、夫婦だけで夕食を食べ、ディーターは酒も飲んでほろ酔いだ。コンコンと戸を叩く音に気づいたのはディーターの方だった。グレーテは食器を片付けに奥へ引っ込んでいたからだ。
「こんな時間にだれだよ」
 ふらふらとディーターは戸に近寄り、逆にこっちからコンコンと戸を叩いてやった。
「俺だよ、フリッツだ…開けてくれないか」
「ばぁかかお前は、鍵は開いてる、自分で開けな!」
 父親は少し酔いに任せて大きな声を出した。すると、扉の向こうで小さな泣き声が聞こえた気がした。
「……なんだ。いい歳した男が泣きべそかきやがって…」
 ぶつぶつ言いながらも、ディーターの心の中に疑問がわいた。
 そして、そっと扉を引いた。
「……おい」
 それは目の前の息子を呼んだのではなかった。ディーターは今度こそ大声で妻の名を呼んだ。
 夜遅くに帰ってきた息子は、その腕にまだ生まれたばかりの赤ん坊を抱いていたのだ。しかも、その赤ん坊の肌は黒かった。
 これ以上ないほど目を真ん丸くしたディーターが立ち尽くしていると、グレーテも酔っ払った夫の様子を見にやってきた。フリッツが一歩踏み出して、明るい室内に入るとグレーテも赤ん坊に気づいて飛び上がる。
「さっき…生まれたんだ。どうしても…すぐに会わせてやりたくて…隠してて悪かったと思ってるよ。でも…」
「フリッツ! あんた母親を放って来たのかい!」
 グレーテは大声で言った。いいかげん、あたりに住む城の人たちが騒ぎ出す。
「誰かちゃんと側についているんだろうね!」
「え…た、たぶん…」
「たぶんってなんだい、あんた、それでも人の親かね!」
「えぇー…」
 肝心なときにおろおろするのはディーターそっくりだと思う。
 グレーテは半ば強引に赤ん坊を奪い取り、フリッツとディーターに嫁をつれてこいと言った。
 フリッツが通いつめていた黒肌の女性は、今の世になってもまだれいにもれず荒んだ暮らしをしていた。フリッツがこつこつと面倒を見ていたようだが、子を産んでしばらくは伏せってしまうほど弱っていた。
 赤ん坊の肌が黒いとわかったとき、グレーテの頭にはすぐにその母親の姿が浮かんだのだ。同時に黒い髪の友人の姿も。
 グレーテの言ったとおり、母親を城につれてきて正解だった。彼女はやがて生きる力を取り戻し、生まれたばかりの赤ん坊は親を亡くすこともなかった。
 フリッツはずっと前から彼女を城に連れてきたかったのだと言った。
 それを拒んでいたのは彼女自身で、やはり自分が受け入れられるわけがないからと、フリッツの説得を聞こうとしなかった。
 フリッツは子を産んだ彼女が弱るのを見て、このまま彼女が家族になれないまま死んでしまうのではないかと、赤ん坊をつれて両親のところへ走ったのだ。
 勇気がでるまで時間がかかるのも、ディーターそっくりだった。
 だが、フリッツの思ったとおり、城に彼女と赤ん坊を歓迎しないものはいなかった。
 少しずつ、時代はかわっているんだよと言ったら、彼女はベッドの中で少し泣いた。
 赤ん坊は女の子で、ラランジャという名前は母親が付けた。
 その年はカルロッタも二人目の娘イザベラを産むことになったが、延々続くと思われる些細な平和の中には涙もあった。司教マウリシオが全ての役目を終え、妻の見守る中、安心した顔で七十一年の生涯を閉じたのだ。

 そして、翌307年。クレヴィング王に二人目の子が授かった。
 生まれたのは王女で、王妃たっての願いによりエレオノーレと名づけられた。
 金の髪と蒼い目の、まるで人形のようにかわいらしい王女であった。

     ★

 魔人を討ち果たしたクレヴィングの英雄王と城の人々の幸せは、こうして次の時代へと受け継がれていった。

 同じ年に生まれたやんちゃなマテュー王子とおてんばフリーダは、身分などないもののように喧嘩友達になり、共に剣技を競った。パウルも同い年だが、やがて密偵として王子に仕える道を選ぶようになる。
 少し先に生まれたエルナはすぐに騒ぎ出す二人をたしなめる姉のような存在。兄であるはずのコンラートはのんきで、武器も持たねば本も読まないような子だった。
 おとなしいラランジャは密偵教育を受けつつ、祖母に憧れて白魔術も学ぶようになる。また、両親に似て真面目な少女イザベラは、成人したらすぐブランの大教会に修行に行くんだと決めていた。
 そして、彼らはいつもかわいいエレオノーレ王女の側にいるのが好きだった。

 そんな無邪気な子供らが大人になった未来にどんな冒険がまっているとも、その時は誰も考えていない。世のほとんどの親と同じように、わが子が健やかに平穏な人生を過ごし、幸せであってほしいと、心から願っていた。

 やがて、彼らが大人になるほど時代が進んでも、クレヴィング王家の墓にある堂々とした黒い墓石の前に、たくさんの花が絶えることはなかった。

End.

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